闘病記(T.K.様)

T.K.氏 〔発症時=平成23年6月、43歳、男性、会社員〕


【はじめに】
 ギラン・バレー症候群に感染し,入院治療を経て現在は通常の生活に戻っています。
 感染してからの自覚症状で 「何かおかしい」 と思うことはありましたが,自分で調べるには至らず,退院して改めてこの病気のことを調べました。
 その過程でこちらのHPを知り,自分の体験を今後発症してしまうであろう方達の一助になればと思い,乱文ながら投稿させていただくことにしました。

2011/5/29
 就寝前に寒気を感じるが,そのまま就寝。
2011/5/30
 起床するものの,強い脱力感により会社を休む。
 朝のうちは熱が無かった(と思う)が,10時位に熱を測ったところ,38.3℃であった。
 程なくして下痢であることに気付く。
 熱と下痢による脱力感だと思い,医者に行く気力もなく,一日寝て過ごす。
2011/5/31
 熱は下がっている感じ(測っていない)であったが,脱力感と下痢があり,会社を休む。
 子供も下痢をしていたため,夕方医者に連れて行き自分も診察を受ける。この時の熱は37.0℃であった。
 ウィルス性の胃腸炎と診断され,薬を処方される。(子供も同様であった。)
2011/6/1
 熱は下がっている感じ(測っていない)であったが,脱力感と下痢が続いており,会社を休む。
2011/6/2
 起床してみると脱力感がなくなっていたので出勤するが,なんとなく本調子ではない。
 下痢の症状はあったが,回復に向かっている感じであった。
2011/6/3
 下痢も収まり体の調子も普段と変わらないまでに回復する。
2011/6/4
 靴を履こうとしたところ,足首に力が入らず履けない。←後でわかったことであるが,ギラン・バレーの最初の自覚症状である。
 この時,アキレス腱伸ばしや膝の屈伸をしてみるが,いつもと違う違和感を感じる。
 夕方,自宅の階段を上った時,足全体に強い筋肉痛と同じ痛みがあり,更に太ももからふくらはぎの筋が伸び縮みしていないような感じがあった。
 特に運動もしていないし,この痛みは全く理解できなかったが,明日には痛みも和らぐかと思い,あまり気にしなかった。
2011/6/5
 起床すると,昨日よりも痛みが増しており,階段の上り下りだけではなく,普通に歩く場合でも痛みを感じるようになる。
 家の仕事をこなすも,強い痛みで足首・膝・足の付け根が曲がらない
 この頃からしゃがんだ状態から足の力だけで立ち上がることが難しいと感じる。
 握力や腕の力も弱くなっている感じを受ける。
 自覚症状が出て2日目であったため,筋肉痛であれば3日後位には痛みが和らいでくることが多いことから,3日目の明日には回復に向かうのではないかとの期待を込め,就寝した。
2011/6/6】~【2011/6/7
 起床後,立ち上がるのがままならない
 しゃがんだ状態から立ち上がれず,テーブルに手をついて支えないと立ち上がれない
 明らかに前日より悪化していたこの状態は完全に異常事態だと感じたため,会社を休んで病院へ行くことにする。
 自分で運転しようと思い車に乗ったが,アクセル&ブレーキ操作が遅れる可能性があると感じたため,家内に送ってもらうことにした。


 何科にかかれば良いかわからなかったため,地域の総合病院へ行くことにした。
 (総合病院であれば間違った科を受診しても,その場で正しい科に受診できると思った。)
 整形外科か神経内科のどちらかか?と予想はしていたものの,神経内科はどんな病気を主に見ているのか知らなかったため,とりあえず整形外科かな?と考えていた。


 病院の受付に行き,何科にかかれば良いかわからないことを告げ,症状を伝えた。
 (足に筋肉痛の痛み・歩き難い等)。
 受付の方と話をして,整形外科を受診しようとしたが,予約の患者しか受診できない状態で,今日は予約しかできないと言われる。
 この時点で本来受診するべきだった神経内科のことは完全に頭から抜けてしまい,受診できないのであれば,他の病院へ行こうと決心する。


 自宅から程近い整形外科に行き,発熱&下痢→回復→足の痛み&歩き難さを先生に伝えたところ,手足の反射(膝のカッケ等)・手足の力の入り具合等を見てもらう。
 先生の判断は,「これはウチでは診察できない。紹介状を書くから今日中に行ったほうがいい。」だった。
 更に先生は,「神経内科で見てもらったほうがいい。」と言った。
 神経内科と聞き,ここに来る前の総合病院のことを思い出し,「あそこの病院にも神経内科がありますよね?」と尋ねたところ,先生曰く 「神経内科の先生も色々いるから,こっち(紹介状の病院)へ行って。」 と言われた。
 更に先生は,「私の専門外なので,当たれば儲けものというレベルだけど,これじゃないかと思う。」と言いながら,分厚い医学辞書を取り出し,ぺらぺらとページをめくって 「ギラン・バレー症候群」 と書かれた所を指差していた。初めて聞く病名であった。
 この時点で先生は,看護師さんに車椅子の指示を出して,私に自分で歩いてはいけないと言った。紹介状の病院へ着いたら先に車椅子を借りて,車から降りたら直ぐに車椅子を使って,病院内の移動は車椅子で移動するように言われた。


 今思えばこの先生は,ギラン・バレー症候群であることを確信していて,足に力が入らなくなり,転んでしまうのも時間の問題だと思い,車椅子の使用を強く求めたのだろう。


 紹介状の病院へ着き,神経内科の先生の診察を受けた。
 発熱&下痢→回復→足の痛み&歩き難さを伝え,先の整形外科の先生の診察と同じような診察(手足の反射・力の入り具合)があり,ギラン・バレー症候群と思われるが,血液中のカリウムの値が低くなると手足が動かない症状が出るので,血液検査をすることになる。
 結果は,「血液的には全く問題なし」 とのことで,ギラン・バレー症候群と考えて間違えないとの診察結果となった。


 ここで詳しく話しを聞かれたのが,「何を食べたか?」 であった。
 下痢の症状を誘発させる原因を特定したかったと思うのだが,下痢の症状が出てから既に1週間が経過しており,何を食べたかよく覚えていない。


 「ここの病院ではギラン・バレー症候群の治療ができないため,更に他の大学病院への紹介状を書くので,このまま行けますか?」 と言われる。
 この先生曰く,紹介状を書く大学病院出身で,そこでギラン・バレー症候群の研究をしていたとのことで,現在でも大学病院でギラン・バレー症候群の研究をしているので,そこで治療をするのが最良であることを説明してもらう。
 また,ギラン・バレー症候群の県内発症数は,年間で10人程度であり,極めて稀な病気であることも知る。


 17時前に紹介状の大学病院に着き,「救急外来」 での受付を済ませたが,紹介状の他に先行してTEL連絡をしてくれていたため,担当の先生も直ぐに対応してくれ,直ちに診察が始まった。
 やはりギラン・バレー症候群であると考えて間違いとのことで,直ぐに点滴を開始したほうが良いと説明をされた。
 とにかく治療(点滴)開始までのスピードが重要で,明日ではなく今晩から開始することになった。 血液採取・心電図・レントゲン・CT・骨髄液採取と,休みなく検査が始まる。
 血液採取をした時点で,最初の点滴が開始され,名前は忘れてしまったが,よくある点滴液だったと思う。この点滴は24時間入れっぱなしで,最終的には6日間(6/11まで)入れ続けることになる。
 この他に2種類の点滴があり,一つはステロイドと呼ばれているもので,一つはガンマグロブリンと呼ばれていた。
 ステロイドはガンマグロブリンの前に1パック(量は不明)点滴し,その後にガンマグロブリンを5個(小瓶入りで量は不明)点滴した。
 この二つの点滴は,一日当たり1パック+5瓶と量が決まっており,5日間6/10まで)続いた。


 一通りの検査が終わり,最初のステロイドを点滴し始めたのは23時頃だったであろうか。
 約1時間のステロイドが終わり,次はガンマグロブリンである。0時位から始まり1瓶当たり約1時間で,終わったのが翌朝6時位であっただろうか。
 この点滴の間,夜勤の看護師さんは殆ど付っきりである。。。もちろん,他の入院患者さんの様子を見ながら。。。後で聞けば,看護師1年目の方であることを知る。。。感謝感謝である。


 この時点で翌日になってしまっているが,最初に病院に行ったその日のうちに最良であると思われる大学病院に行くことができ,発症3日目でガンマグロブリンを投与できたことは幸運としか言いようがない。
 主治医の先生曰く,「私が担当した患者さんの中で,発症後最速のガンマグロブリン投与のタイミングです。」とのことであった。
2011/6/7】~【2011/6/10
 3種類の点滴が続く。
 この間,心電図テレメトリー(体にセンサーを貼り付け,そのデータをナースステーションに電波で飛ばし,異常がないかを24時間監視)を付ける。
 後で先生から聞いたのだが,この病気は急に容態が悪化する場合があり,発症後1週間は注意が必要で,そのためにモニターしていたことを聞かされる。
 いつだったか日にちは定かではないが,「神経生理検査」 と呼ばれる検査を数回受けた。

 手や足にセンサー?のようなものを貼り付け,さらに電極に電気を流して神経の反射スピード?等を検査した。
 電気が流されると自分の意思とは関係なく手足が勝ってに動き,何とも言えない感じがした。
 ちょっと痛みを伴うのだが,我慢できない痛みではなく,慣れてしまう。


 最初の神経生理検査では,ハッキリとギラン・バレー症候群であるとの結果が出なかった。
 しかしながら,ギラン・バレー症候群の兆候があるとも言われ,検査結果のデータ上では比較的正常に近いデータだったようである。 初期症状の段階でこの病院に来ることができた証明であったように思う。 
 既にガンマグロブリンも投与していたが,「もう少し症状が悪化する可能性がある。」 とも言われていた。
 その後の検査では,初回の検査よりも悪い方向のデータが出ており,症状の悪化と比例していった。


 6/10でステロイド&ガンマグロブリンの点滴は終了。
2011/6/11
 点滴は終了していたが,先生の言ったとおり症状は悪化した。
 ①トイレに歩いて行けたのが,転びそうなので車椅子で行くようになった。
 ②新品のペットボトルのキャップが開けられなくなる。
 ③食事で出た冷奴を箸で切ることができなくなった。
 ④ベッドから車椅子に移る時,膝に力が入らず,そのまましゃがんでしまい,看護師さんにベッドまで引き上げてもらった。
 ⑤一番低い状態の握力が6kg位になった。
 500mlのペットボトルが5kgの鉄アレーのような重さに感じる。
 症状が一番悪化した状態でも,ベッドの上では手足を自由に動かすことはできていた。
2011/6/12】~【2011/6/13
 この頃から徐々に回復傾向となる。
 ベッドの上で足を動かしたり,ペットボトルを鉄アレー代わりに持ち上げたり,自分なりにリハビリをするようになる。
 ここまで来ると先生から 「そろそろリハビリを開始したほうがいいね」 と言われ,病院内のリハビリ科でのリハビリ開始となる。
2011/6/14
 リハビリ初日,腕や手の運動と平行棒につかまりながらの歩行訓練など。
 平行棒なしでも何とか歩けたが,足でバランスが取れないので,倒れそうになる。
 20分程度の歩行訓練だった思うが,初日の感想は 「疲れた」。。。
2011/6/15】~【2011/6/20
 リハビリの日々が続くが,日を追うごとに回復していくのが実感できる。
 どこにもつかまらずに歩く歩行訓練がメインのリハビリだが,メニューも高度になってくる。
 普通に歩くのではなく,ラインの上を踏み外さないように一歩一歩歩いたり,カニ歩きのように横向きで歩いたり,バランスが重要とされる歩き方がうまくできない。
 リハビリ科での訓練は30分程度なので,リハビリ科でのメニューをベースにして,自分なりのメニューを考えて,病棟に戻ってから廊下で自主リハビリをするようにした。
 握力も前日よりも1kg~2kg位日増しに強くなってくる。
 リハビリ科への移動も,最初は看護師さんに車椅子で連れて行ってもらっていたが,自力に歩いて行くようになる。
 主治医の先生から,「そろそろ退院を考えましょう。家族の方と相談して,退院日を決めていいですよ。」と言われる。
2011/6/21】~【2011/6/24
 病院の外を歩いたり,自転車のトレーニングマシンに乗ったりと,退院までリハビリの日々が続く。
 6/24に退院する。


6/6
入院~6/24退院  19日間の入院期間であった
2011/6/25】~【2011/6/30
 退院後は1週間を自宅療養をして,自宅リハビリを実施。
 車の運転も問題なし。
2011/7/1
 入院後初の出社日

 現在(7/13)90%程度の回復であろうか。家庭生活・会社生活共に不自由なことはない。
 唯一回復が足りないと感じるところは,手足の筋力が発症前には戻っていない感じである。
 徐々に回復していくと信じている。


【最後にこのギラン・バレー症候群症候群を体験して】
 発症率は10万人に一人程度の発症とのことであるが,発症してしまった運の悪さがあった一方で,病院に行ったその日のうちに,この病気に対してしっかりと対応できる病院に行き着いた運の良さがあったのも事実である。
 本来であれば担当外の整形外科の先生が,ギラン・バレー症候群の疑いを持ってくれたお陰で,その後の流れが決まったと思う。
 紹介状を受けていただいた先生が,この病気を専門で研究していたなんて,普通では有り得ない巡りあわせだと思う。
 比較的軽い症状のうちに正しい方向に導いてくれた整形外科の先生にお礼を言いたい。
 紹介状を受けていただいた先生は,実はその病院の受付時間は終了していたにも関わらず,病院へ向かう車から電話を掛けて,私が着くのを待っていてくれたのである。
そこから出身大学病院との連携はさすがである。
 そして大学病院での主治医の先生の対応,更にその上の先生の対応と,全く不安がなかった。症状が悪化した時も前もって言われていたとおりだったので,焦りもなく受け入れられた。
 決して忘れることができないのが,入院中殆どの時間を過ごした病棟・病室での看護師さん達である。 入院初日の夜勤の看護師さんから始まり,お世話になった看護師さん達の対応は素晴らしいの一言である。
 その中でも私の正看護師さんの対応は更に素晴らしく,完全に信頼できる方であった。
 入院中の患者と接する時間が長い看護師さん達の接し方次第で,患者の精神的なものは左右されると思う。快適な入院生活ができたのも,看護師さん達のお陰である。

 そして同室で入院していた他の患者さん達。。。それぞれ入院の理由は違っていたが,稀な私の病気を気遣い,注意深く見守っていてくれた。

 最後にお世話になった病院は以下のとおりです。

 鈴木整形外科(栃木県・那珂川町)
 国立病院機構 宇都宮病院(栃木県・宇都宮市)
 獨協医科大学病院(栃木県・壬生町)


 この場をお借りして,関わっていただいた方々に御礼を申し上げます

                       (平成23年7月記)

この闘病記は、「ギラン・バレー症候群のひろば」の管理人であった田丸務様を通し、T.K.様ご本人に転載のご意向を確認した上で、掲載しております。