闘病記(R.W.様)

RW.氏〔発症時=平成15年8月、39歳、男性、会社員〕



<平成15年7月下旬>
 高熱と下痢が1週間近く続くが、何事も無かったかのように治まる。



<平成15年8月>
 徐々に脱力感を覚えるが、あまり気にせず2~3日を過ごす。
 朝起きた時に、呂律が回らずに体を起こす事も出来なかったため、救急車で
脳神経外科病院に搬送される。検査を行っても脳に異常は見られなかったので
神経内科のある病院に移され、ギラン・バレー症候群と診断された。
 ガンマグロブリンを投与するも、進行は止まらず。
 翌日未明に自発呼吸が出来なくなり、気管切開され人工呼吸器を挿管される。
 体は一切動かず、辛うじて眼球とまぶた(半開き)が動かせる程度の事が出来た。
 意識ははっきりとしていて、医師や家族の話は聞く事が出来るが、自分の意思を
伝える事ができず、徐々にストレスが溜まっていく。
 すぐに妻が文字盤を作成してくれたので、なんとか会話を行う事ができるようには
なったが、これから1ヶ月半程はICUでの生活となった。
 この頃は未だ感覚神経は特に異常が無かったようだ。
 一番困ったのは、呼吸器の蛇腹ホースが自然に外れる事が度々あった事だ。
 空気を送っている圧のせいで突然外れるようなのだが、アラームが鳴って看護婦さ
んが来てくれるまでは1~2分程あり、その間は呼吸困難で悶絶していた。
 苦しい表情を出せないでいたので、呼吸器にはかなりナーバスになっていた。



<平成15年9月>
 2度目のガンマグロブリン投与を行うが、少しも良くなっている気がしない。
 それでも口元を伸ばす動きが少し出せるようになり、お見舞いに来てくれる人達にも
笑顔を見せられるようになった。
 頭を縦と横に軽く振れるようにもなってきたので、簡単な質問には答えられるが、
こちらの要求は相変わらず伝わりにくい。
 中旬にICUから重症部屋(個室)に移されたので、TVを見られるようにはなったが、
あまり見たい気持ちにはなれなかった。
 呼吸器が突然外れるのは相変わらずだったので、やっとテープで補強してもらえた
(何度もお願いしていたのに!)。



<平成15年10月>
 会話の方法が、文字盤から口パクによる読唇術になってくる。
 しかし、口をすぼめる動きは出来ないので、やっぱり意思はなかなか伝わらない。
 妻とは不思議なくらい会話がすぐに成立するのに、妻以外の人には何倍も時間が
掛かる。
 両肩が動くようになり、下旬には自発呼吸が戻ってきた。




<平成15年11月>
 呼吸器を外すリハビリを開始するも、呼吸困難に対するトラウマでなかなか時間を
延ばせない。
 ずっとマックシェイクを吸っているようで、呼吸する事だけで疲れてしまう。
 それでも下旬には日中は外していられるようにまでなった。
 喉のカニューレのカフエアを抜いて穴を塞いで、口と鼻から呼吸をするようにしたら
声を出す事が出来た!会話が出来た!
 若干呂律が回っていないが、こちらの気持ちを声に出せる事がこんなに嬉しいと
は。
 体の方は、脇を閉める動きが出来てきた。この動きを何かに使えないものか。
 なぜかこの頃になって、指先に強烈な痺れが出てきた。タオルを触る事が出来ずとても困った。



<平成15年12月>
 呼吸器を完全に外せるようになった。
 いろいろ身体に付いていた管が外れていき、重症部屋も卒業となった。
 五分粥での食事が始まり、これからどんどん良くなっていくと言われた。
 ナースコールのボタンを脇に付けて自分で鳴らせるようになった。OTの先生に感
謝。
 ベッド上で身体を起こすリハビリを開始。高いところから下を眺める感覚でちょっと
気持ち悪い。
 左手の指先だけ僅かに曲げる動きが出る。



<平成16年1月>
 食事も常食となり、お正月は自宅に外泊する事が出来た。
 ストレッチャーのまま無理矢理移動したが、とても楽しい外泊だった。
 右手の指先も動き出した頃の中旬、国立身体障害者リハビリセンター病院へ転院
する。
 腕をひねる動きが出てきて、右腕だけベッドから少し浮かせるようになった。
 車椅子を自分で操作しろと言われるが、腕が上がらずタイヤを掴めないのでかなり
しんどかった。
 ベッドと車椅子間の移動はリフトを使用する。クレーンゲームの景品になったようだ。



<平成16年2月>
 食事動作のリハビリが始まる。両腕をワイヤーで吊って腕の重さを失くしているのだ
が、肘間接が固まっているので口までスプーンが届かない。とりあえず、本のページ
をめくる事などをしていた。ページの端を触ると指先が痛い。
 左腕もベッドから浮かせられるようになった。



<平成16年3月>
 自分で食事が出来るようになる。ワイヤーで吊った状態だと物をすくう動作がやりづ
らい。
 車椅子を漕ぐ動作もだいぶ出来るようになって来た。
 ベッドの上で膝を立ててもらうと、倒れずに静止ができるようになってきた。



<平成16年4月>
 妻にノートパソコンを買ってもらう。操作するのは手のひらに鉛筆が挿せる装具を付
けて、消しゴム付き鉛筆の消しゴム部分でキーボードを操作する。腕を吊らないで操
作していたので、疲れては休みながら文字を打っていた。
 もともとパソコン操作は好きだったので、車椅子に乗っている時間も長くなり、かなり
いろいろな場所のリハビリになったと思う。
 食事でも右腕のワイヤー吊りは卒業となる。
 だんだんと寝返りが出来るようになり、夜間の体交も必要なくなった。



<平成16年5月>
 ゴールデンウイークに久しぶりの自宅へ外泊。やっぱり家は良い。
 シャワーチェアを病院から借りていったので、家でも身体を洗ってもらえた。
 左腕のワイヤー吊りも卒業。ベッドで膝を曲げる事は楽に出来るのだが、伸ばすの
が難しい。
 車椅子からの移動は自立ができるようになった。



<平成16年6月>
 膝上まである長下肢装具を付けての歩行訓練が始まる。初めてにしては意外とうま
く歩けたので、油断していたら3日後位に転んでしまった。
 膝が装具で固定されているので、バランスを崩したら、身体が前方ではなく、倒れる
途中で横に軌道が変わるとは。幸い平行棒が脇に引っかかり怪我はなかったが、
かなり焦った。
 転ぶ時は耐える時間もなく突然来るものなんだなあ。
 その後は、危ない目には遭わなくなった。
 平行棒から歩行器での廊下散歩へと変わる。
 手の方は、手首の動きがでてきたので、着替え動作の練習も始める。靴下を履くの
が一番難しい。
 ズボンのゴムを広げる力が無く、手首が折れ曲がってしまい、手がズボンの中に入
らない。ポケットに手を入れればズボンを引っ張れる事を教えてもらう。
 下旬ではトイレでのズボン上げ下ろしが出来るようになった。
 寝ている体制から体を起こす事も出来るようになった。



<平成16年7月>
 一時期転院の話も出たのだが、一人で出来る事が増えてきたので、自宅での準備
が整い次第退院する方針に決まった。
 着替えもだいぶスムーズになってきた。
 手首を鍛えるためにビーチボールを手首のスナップだけで壁打ちを始める。
 歩行訓練は装具が無いと歩く事が出来ないが、立ち上がってしまえば装具無しで立
っていられるようになる。
 退院後の生活を踏まえて、海の日の連休に自宅に外泊する。

 パソコンキーボード操作も、両手の人差し指でできるようになった。マウス操作もま
あまあOK。
 握力は両手とも0.5Kg。針が動いた事が重要。握る形もようやくグーになってき
た。
 指先の痺れはだいぶ軽くなってきた。



<平成16年8月>
 一年前の入院日(8月4日)と同じ日に退院。
 通院先も初めに入院した病院に決まり、後はリハビリを継続していくのみ。
 担当医にもいずれ歩けるようにはなるでしょうと言われた。
 家に帰ってきたら、車椅子から降りて床に座る事に挑戦。お尻が痛いが何とかなっ
た。
 やっぱり、車椅子とあぐらでは気分が違う。
 その後四つん這いで部屋を移動するも、フローリングだと膝が痛くなるのでサポー
ターを着けるようにした。
 膝上から立ち上がってテーブルの周りを伝わり歩きしてみるも、何度か転倒。怪我
は無し。
 起きている時間も入院前の生活のリズムに戻ってきている。
 ここまでで動きの無いところは、右足の指と足首のみ。



<平成16年9月>
 子供の夏休みも終わってしまい、日中は1人で過ごすようになった。
 歩行器を使ってはいるが、長下肢装具を付けずに1階の部屋中を散歩できるように
なる。
 車椅子から離れて歩くのは、かなりプレッシャーになりますが、慎重に歩けばなんと
か・・・。

 病院でのリハビリもいよいよ杖を使っての歩行訓練を開始となる。未だ杖を握るとこ
ろがぎこちなく、小指と薬指がグリップから離れている状態。30メートル位の距離を何
とか歩く事が出来た。
 歩行器を使うよりも歩く事自体に集中できるので、とても良い感触だ。
 今後のステップとしては、バランスの安定  杖を一本  装具の膝ロック解除
としていく模様。

 あと、微妙だが右足首がやっと動き出すようになってきた。
 握力は、右1.5Kg左1.0Kg。握りこむ力はもっとあるが、握力計だとある程度手
を開いている状態なので、指先の力が無いと数値が上がらない。

 お風呂に入るのは介助無しで入れるようになった。今までは浴槽から自力で上がる
ことができなかったが、自分のペースで風呂場に行けるようになったので、家族にとっ
ても負担を減らせる事ができて良かったと思う。
 それでも、監視役で子供が一緒に入っているので、極力危険の無いようにはしてい
るが・・・。
 風呂場ではシャワーチェアというお風呂用の車椅子に乗り換えている。



<平成16年10月>
 病院での歩行リハビリでは、長下肢装具が不要となり杖のみとなる。
 家ではここのところ、壁を伝いながら歩いていたのでバランスも良い感じで取れてい
る。
 5センチくらいの段差なら超えられるようにはなってきたが、かなりぎこちない。
 膝を曲げているのではなく、腰(骨盤)の動き&カニ歩きで何とかしているだけなの
で、こちらはもうちょいの模様。

 それと、昨日家で何も掴まらないままで10歩程歩けた。3メートル先のカミさんのと
ころまで「アンヨは上手」という具合で、手を伸ばしてヨチヨチと歩く姿は1歳児の様
な・・・。
 握力は、右2.0Kg左1.5Kg。



<平成16年11月>
 病院での歩行リハビリでは、杖は持っているが、床につかない状態で歩行するよう
になる。
 杖は体がふらついた時の保険として使用する。しかしながら、体が静止している状
態ではバランスが悪く、まだまだ杖は必要である。家では片杖であれば、安心して歩
ける。

 近所のレンタルビデオ屋とパソコンショップに、両杖をつきながら店内を散歩する事
ができた。
 時間で20分程度だったが感動した。
 握力は、右5.0Kg左4.5Kg。
 ペットボトルのキャップやビール缶のプルトップを素手でなんとか開けられるようにな
った。



<平成16年12月>
 家では完全に歩行時の杖が不要となった。シャワーチェアも不要となり、立ったまま
で風呂場に行き浴槽に前屈のようにして手を置き、膝を床についてから入浴するよう
になる。
 立ち上がるのも浴槽に掴まってできた。
 しかし、床に座っている状態からはそのまま立ち上がる事はできない。
 立ち上がるには、未だ30センチ程度の段差と掴まるものが必要。

 立ち上がっての静止時間は5秒程度までは可能。竹馬に乗っている様なバランス
感。
 病院での歩行リハビリは終了となり、階段昇降の動作訓練を開始する。
 両側に手摺りのある段差なら右足を頼れば昇り降り可能となってきた。
 リハビリの合間に自転車漕ぎをやってみたところ、これがすごく良い感じで、使って
いない筋肉がまだまだある事を痛感させられた。負荷1Kgを10分やったが、ずっと急
な坂を上っている様でヘトヘトになる。
 健常者の時は10Kgで30分は余裕で漕いでいたのにそれよりもしんどい。
 これはかなりの訓練になりそうなので、家にも置こうか検討中。

 1階が駐車場で、外階段のある電気屋に行く事を挑戦。片杖と妻に肩を借りて階段
を上る事ができるも、掴まる肩が食い込んで痛いと言われ、自力で上がった感じがし
ない。
 その後、スーパーのカートに掴まったまま店内を30分ほど散策することも体験。足の
裏がちょっと痛い。

 自動車の運転動作が可能かどうかのチェックもした。ブレーキを踏むときに足首が
カクッとするものの、概ね良好。
 足首は固定用のサポーターを着けていれば問題なし。疲労感も無いので運転中に
踏み込む力が入らなくなる事もなさそう。
 免許証は今年の6月で期限が切れてしまったので、鴻巣まで更新に行かなければ
ならない。
 3年間は特別な理由があれば更新期間の延長ができるとの事なので、もう少しした
ら行く事にしている。

 玄関前のポストまで杖無しで移動する事ができた。杖無しといっても、玄関前には2
段ほど段差があるので、玄関の扉にしがみつきながら昇り降りする状態。そろそろ、
表に散歩にでも行ったら?と妻に言われるが、転んだ後、自力で立ち上がれない事を
思うと躊躇してしまう。でも、もうすぐやってみようかなとも思っている。
 握力は、右6.0Kg左5.0Kg。



<平成17年1月>

 一人で散歩に出かけてみる事にした。かなりのスローペースで、両杖・両足の4点
のうち動かせるのは1点ずつのみなので、距離の割に時間がものすごくかかる。往復

400メートル程度の距離が30分・・・おまけに腰も曲がった状態なので、だんだん腰
が痛くなってくる。
 未だ横断歩道なんかは怖くて渡れない。青信号の間に渡りきれるだろうか・・・?
 結局今月は、1Kmを1時間かけて歩くのが限界でした。
 雨・風がある日は外に出られないので、家で膝を着いての腕立て伏せを行う。
 万が一転んだ時にも、顔面を強打しないように腕の力を付けておかないといけない
が、おかげで、体中が筋肉痛になってしまう。正直とてもしんどいが、スポーツジムに
通っていた頃を思い出すので懐かしい感じもする。

 食事は箸を使えるようになってきた。限りなくグーの状態で箸を握っていて、余って
いる方の手で親指の握りの甘いところをサポートすれば、口に物を運べるようになる。



<平成17年2月>

 1.5Kmを50分で歩けるようになる。横断歩道も渡ってみたが、青信号をまるまる
使って渡りきるスピード。

 自分では結構危なげなく歩いているつもりだが、周りにはどういう風に映っているの
かな?
 足元ばかり見て歩いているので、周りに気を付ける余裕が無い。
 杖を突きながら歩いている、腰の曲がったお婆さんに簡単に追い抜かれていったの
はショックだった。
 風の強い日に散歩してみたが、途中まったく歩けず(動けず)に相当ピンチになった。

 家ではコタツなどの低いテーブルに両手を突いた状態から立ち上がれるようにな
る。
(成功率30%)
 未だ腰が重たい感じで余裕が無いが、とりあえず膝下までの高さがあれば外で転ん
でも立ち上がれるかな?



<平成17年3月>
 2.5Kmを1時間で歩くようになるが、歩いた後の反動(腰痛、間接痛、筋肉痛)が
酷くなってくる。
 さすがに連日の散歩は厳しい状態なので、週に2回~3回程度しか出来ない。
 一番暖かい時間帯(午後2時~3時頃)に歩いているので、幼稚園児や小学校低学
年の下校時間と重なり近くを歩かれるとちょっと怖い。(チョロチョロしていて、ぶつか
られそう)
 車道より一段高い歩道を歩いていると、歩道の切れ目が急な斜面になっていてとて
も怖い。
 要するに、恐々と歩いているポイントがまだまだ沢山ある模様。
 箸の使い勝手の方は殆ど片手で口へ運べるようになった。



<平成17年4月>

 4Kmを1時間15分で歩くようになる。相変わらず、歩いた後は色々な箇所が痛い。

 スーパーの中などは足元が凸凹していないので、片杖でも歩けるようになる。

 いつもは平坦な歩道ばかり歩いているので、なだらかな起伏のある公園の遊歩道を
1時間程歩いてみると、スタミナが根こそぎ奪われてしまった。家に帰ってすぐにバタ
ンキューとなる。

 公園のベンチに腰掛ける時等で膝を曲げる「ため」が出来る様になってきたので、お
尻が落下するように座らなくてすんできた。
(ゆっくりと座れるとお尻が痛くなくてとても良い

 ローテーブルからの立ち上がりは完全に出来るようになった。
 後、座っている状態ならばつま先立ちが出来るようになる。手で膝を押されると負け
てししまうが・・・。



<平成17年5月>

 4Kmを1時間で歩くようになる。歩いた後でも体の痛みが無くなった。歩く姿勢が大
分良くなってきたようで、背筋と腰が伸びているようだ。1日に2セット歩いていても疲
れなくなってきた。
 安全のために、両杖を使ってはいるが片杖だけでも行けそうではある。公園の遊歩
道もスタミナ切れを起こさなくなった。

 所沢の国リハに車でご挨拶に行ってきた。折角なので、院内では片杖だけで行動す
る。
 看護師さん達は、私を見ても誰だか判らない模様で、声を聞いてビックリして思い出
すようだ。

 たしかに、退院時は車椅子を使っていたので印象が大きく変わってしまったらしい。

 あいにく、主治医はたまたま外出中で会う事が出来なかった・・・うーん残念!

 PTの先生には再会する事が出来たので、現状の報告を兼ねて、体の様子を見ても
らう。
 歩く時につま先が上がっていないのが気になったようで、足首周りだけ固定する装
具の使用も考えたらどお?とアドバイスを受ける。

 握力は左右とも12Kg。(摘み動作が苦手)



<平成17年6月>

 4Kmと7Kmコースをセットで連日歩くようになった。距離だけならば普通の人より
歩いているかな?

 距離はもう十分な感じがしたので、今度は片杖だけで4Kmを歩くようにする。

 初めは片杖を頼る姿勢で歩いていた為、脇腹が痛くなってきたが、数日で真っ直ぐ
な姿勢で歩けるようになる。こうなると、空いている片手が寂しいので一人で買い物に

も挑戦してみた。

 レジで財布からお金を出すところがまどろっこしいが、問題なく買い物ができたー

コレはとても嬉しい。

 片杖だと行動範囲が急に広がりだしてきた。最寄りの駅まで歩いて電車に乗る事に
も挑戦!

 上下のエスカレーターも危なげなくクリアし、電車にも無事乗る事が出来た。

 車内の揺れにも耐えられるが、やはり発進や停止時には何かに掴まっていないと危
ないかも・・・

  (つり革であれば大丈夫)。

 その後、隣駅の駅ビル内も散策して述べ2時間程のコースを帰ってきたら、久しぶり
にガス欠状態でグッタリとしてしまう。まだまだスタミナ不足のようである。

 散歩のコースもバリエーションが増えて来たのでかなり楽しいが・・・今年は梅雨が
ないのかというくらい暑いε-(´o`;A

 熱射病にならないように注意をしつつ、色々なところを歩いてみるつもり。

 いまだ何も無い床からは立ち上がれませんし、掴まる所の無い段差も上がれない
のですが、やっと社会復帰は見えてきたという感じです。




 家族を始め、沢山の人に励まして頂けた事に大変感謝いたします。
 今後も回復を信じ、元の身体に戻れるように頑張りたいと思っています。


(平成15年12月奥様からの投稿、 平成16年8月本人全面改訂、

               平成16年12月、平成17年6月加筆)

この闘病記は、「ギラン・バレー症候群のひろば」の管理人であった田丸務様を通し、R.W.様ご本人に転載のご意向を確認した上で、掲載しております。