闘病記(O.T.様)

O.T.氏 〔発症時=平成24年1月、50歳、男性、医療従事者〕



 入院日 2012年(平成24年)124
 退院日 2012年(平成24年)824
 復職日 2012年(平成24年)9 1


 救急外来に搬送されるまでの経過
 平成24121日 土曜日 起床後洗面に立った時に、口腔内全体にわたるジーンとしたしびれを自覚しました。
 翌1/22 日曜日の午後はテニスをしていましたが、夕方ラケットを持つ右腕(利き腕)の動きが悪いと感じました。その夜は体が重だるく早めに就寝しました。
 翌1/23 月曜日の朝食についたとき、右指先の力が抜け箸を落としたのでおかしいと思いましたが、出勤しました。職場ではパソコンのキーボードを打つ両手の指に力が入りにくくなり、10時頃には右下肢を引き摺るようになったので、早退して家で横になっていました1)。夜間、両下肢の脱力がありトイレに這うようにしていきましたが、便意はあるものの排便はできませんでした。
 翌1/24  火曜日の早朝には呂律が回らなくなっていたので、救急車を要請して病床数800余床の総合病院救急外来に搬送されました。


 救急外来での診療内容
 搬送時には、四肢麻痺と体幹の麻痺がありました。当直医による意識レベルやバイタルサインのチェック後、当直していた脳神経外科専門医の診察を受けました。脳CTMRIの結果脳梗塞や脳出血を認めなかったため、神経内科の宅直医が連絡を受けました。所見は以下のようなものでした。
 意識は清明で右顔面の末梢性麻痺と構音障害、舌の左側への偏奇を認めていました。上肢筋力の右はMMT 2(手は1)左が3(手は2)、下肢は右が2,左が3でした。(MMT:manual muscle testing 徒手筋力テスト 1は筋の収縮は認められるが関節の動きは起こらない、2は重力を除くと全可動域動く、3は重力に抗して全可動域動くが、それ以上の抵抗を加えれば動きは起こらないことを意味します2))。また深部腱反射はすべて消失していました3。感覚では、位置覚・深部痛覚・触覚は正常でしたが4)、両手関節以遠と両趾にぴりぴりとした異常感覚を自覚していました。静脈血液検査と動脈血液ガス検査では異常はありませんでした。また救急外来で腰椎穿刺による髄液検査を行いましたが、蛋白は40mg/dl(正常値1545)、細胞数は1以下(正常値5mm3以下・すべて単核球)と蛋白細胞解離は認めておりませんでした5)
 以上より、ギラン・バレー症候群の診断で同院の神経内科に緊急入院しました。入院後に行われた神経伝導検査では、末梢神経の障害(両下肢優位での時間的分散の増大とF波の出現頻度低下)を認め6)、抗ガングリオシド抗体検査では抗GD1b抗体が陽性でした7)


 入院後経過 集中治療室入室から退出まで
 救急搬送翌日(1/25)よりIVIg(免疫グロブリンの静注療法)を開始しましたが、球麻痺(構音や嚥下障害)は進行したように思います。1/27(初発症状より7日目)呼吸筋の筋力低下と唾液の嚥下がうまくいかないこと(誤嚥)による呼吸不全(Ⅰ型:PaCo2の上昇がないもの)をきたしたため気管内挿管から集中治療室での人工呼吸器管理となりました。
 集中治療室ではPEPlasma Exchange 単純血漿交換)を置換液は5%アルブミンとして7回施行しました8)。洞性頻脈と高血圧があり9)、自重により身体のあちこちが圧迫されて生じる疼痛と計器類の騒音と照明、不安感の増強から不眠となり、鎮痛薬(フェンタネスト)・催眠鎮静薬(プレセデックス)も使用していました。
 その後、自発呼吸による1回換気量も増えてきたので2/9(挿管後14日)で抜管しましたが、喉頭反射が弱く(刺激で咳が出ない)喀痰の排出ができなかったため、再挿管して気管切開が施行されました。翌日2/10には人工呼吸器から離脱して、2/14に一般病棟に移動しました。


 入院後経過 一般病棟移動から退院まで
 2月中旬~下旬10) 集中治療室入室後も関節拘縮予防のための他動的関節可動域訓練が行われていましたが、PT(理学療法)、OT(作業療法)、ST(言語療法)によるリハビリテーションが本格的に開始されました。この時期、起立はもちろん座位保持や寝返りも不可能な状態での四肢の自動介助・抵抗運動が主な内容でした。下口唇は垂れ下がっており、唾液分泌が多く嚥下がうまくできないので、気管への垂れ込みが多く、頻回の気管内吸引が必要でした。また、よだれの垂れ流しに備えメラという口腔内持続吸引用のうずまき型チューブを常時くわえていました。
 3月上旬 気管カニューレの内腔閉塞が夜間に起こり、当直医にて緊急に交換してもらいました。また右内頸静脈に挿入していた中心静脈栄養カテーテル感染で熱発し、同カテーテルを抜去しました。水分と栄養は経鼻胃管(EDチューブ)から注入していましたが、注入開始とともに体温の上昇と腹部膨満感があり、強い苦痛を感じていました11)。筋力低下のみか精神的にも脱力したようで将来に対する悲観的な空想と過去に対する後悔の念ばかりが込み上げてきて、大変暗い気持ちになりました。コミュニケーションは、かろうじて動いた左手母指と示指で口腔内清掃用の綿棒を把持し、文字盤を指示して行っていました。
 412) 端座位が15分ほど保持できるようになり、足で車いすをこいで病棟内を移動できるようになりましたが、1周(約100m)で限界でした。近くの公園へ観桜に車いすを押してもらって家族で出かけたのが、初外出でした。下旬には気管切開チューブはカフのないもの(高研式気管カニューレ)に交換され、発声ができるようになりました。幸い、声帯の麻痺はありませんでした。
 513) 上旬に気管カニューレを抜去しました。PTは右長下肢装具を装着した歩行練習。OTはアームバランサーを使用したADL訓練、書字や小さなピンの移動など机上での作業訓練を主にしていました。STはゼリーなどで嚥下訓練も開始しました。体重が罹患前の73kgから57kg16kgも減少していて驚きました (身長 170cm) 。
 614) 嚥下機能・咳反射が改善してきたので、EDチューブを抜去し、経口摂取・内服を開始しました。
 715) PTは訓練台(プラットホーム)からの起き上がりや椅子からの立ち座りおよび、長下肢装具を装着しての歩行練習。OTでは上肢体幹の自動運動・抵抗運動。STは発声練習や表情筋、口輪筋の自動運動・マッサージ・ストレッチを行っていました。右上肢はこれまで筋の収縮は触知されていたものの、まったく動かせませんでしたが、下旬にはついに自動運動が出現しました16)
 8月 ふらつきと右膝折れはありましたが、右膝をロックしながら独歩可能となりました。おおむね日常生活動作が可能となったので、824日に退院しました。7か月余り、計213日の入院期間でした17)
 9月 1日より配置転換を受けましたが、復職しました。
 平成24年 秋~冬 1.5時間/日ほどのリハビリテーションと公道で14kmほどの歩行練習を行いました。表情筋・舌の運動は、こわばりが気になったら行っていました。
 平成25年 春~冬 1.5時間/日ほどのリハビリテーション(自主練習主体)と1週間に1度丘陵地の遊歩道で4kmほどの歩行練習を行いました。表情筋・舌の運動は、こわばりが気になったら行っていました。
 平成26年 1月末で発症から2年経過しました18)


 現在の状態
 仕事は配置転換後の職場にて在職しています。生活は移動(乗用車の運転、公共交通機関の乗降、自転車)・更衣・整容・食事・風呂とも自立できました。身体の状態は、左右眼輪筋の軽度の麻痺、左手内筋の萎縮(第1指と2指間の背側骨間筋の萎縮が強いです)、左第2指~5指の内・外転・屈曲・伸転に関する筋力低下、両握力低下(右17kgw 15kgwと成人女性平均のおよそ半分)、体幹は測定していませんが、腹筋や背筋など病前の半分ほどの筋力のように思われます。
 しかし、1日立ったり座ったりを繰り返しても苦痛に感じなくなりました。脚力に関して起立は安定してきましたが、いまだにだるさ・重さを感じています。歩行時も重くふらつきや違和感があります。走行はぎくしゃくしていますが、100mほどはバタバタと早歩き程度のスピードで可能でした。
 感覚は両眼輪部と口輪部にこわばり感があり、口笛は吹けません。ミニトマトほどの少し大きな食塊は口に納まりきらず、食事をとると下唇と下顎骨との間に食物残差が残ります。舌は左に偏奇したままです。また、両足底にジーンとしばれる様な違和感があり、右足趾はhammer toeの形態で地面を把持する機能が低下しているようです。
 生理行動に関して補足しますと、食欲はあまりなく、とってもとらなくてもいいという感じになりがちですが、食事をしても入院中や退院後半年ほど感じていた腹部膨満感は軽減しました。また、排便は病前にくらべて強いいきみが必要になりましたが、ほぼ習慣的にできるようになりました。睡眠は11時頃から6時頃まで中途覚醒なくとれるようになりました。
 リハビリテーションは平日、11.5時間ほどの上肢・下肢・体幹の筋力トレーニングと表情筋のストレッチを行い、週末は丘陵地の遊歩道を4kmほど散策―登り下りがきつく景色を楽しむ余裕はありませんが―を行っています。近頃は”薄皮を剥くような”回復状況です。


 生活活動の回復経過 (要点箇条書きです)
平成24
 1月 一日中臥床。左上肢はおなかの上にのせられるが右上肢はまったく動かず。左下肢は膝立てができたが、右下肢は動かせなかった。左手親指・人差し指で綿棒をつまみ文字盤でコミュニケーションをとる。
 2月 左肘の曲げ伸ばしができるようになる。
 3月 支えてもらってポータブルトイレが使えるようになる。
 4月 端座位が可能となる。右下肢の立て膝ができる。右膝ロックで立位が少し保持できる。車いすを足でこげる。個室トイレが使えるようになる。
 5月 ベッド上で片側にのみ寝返りができる。長下肢装具を右脚につけて歩行。右指動かず、左手人差し指・親指でパソコンを操作。左手で歯磨き・電気シェーバーで髭剃り。
 6月 電動ベッドの傾斜を利用して起き上がりが可能となる。装具をはずして右膝ロックにて歩行。スプーン・介助皿を使用して左手で食事。外泊を初体験。
 7月 リハビリ室のプラットホームで臥位から起き上がりができる。右上肢動きだし、右肘の曲げ伸ばしが数回できるようになる。乱れた字ながら右手で名前が書ける。左上肢はこれより早く180度まで挙上できた。
 8月 右手で頭を掻ける。よたよたと階段を上り下りする。介助箸を右手で使用。


 退院後
 9月 左小指の押す力は弱いが両手指でパソコンが打てる。ペットボトルのふたが開けられる。介助なしで更衣ができる。
 10月 小銭を使って買い物。一人で入浴。
 11月 婦人用の自転車に乗る。
 12月 (握力測定可能となる:右5.8kgw 左3.9kgw 体重65kg) 右膝ロックを意識しないで歩行。通常の箸を使用。寒いとボタンのかけはずしがしにくい。
平成25 
 春 乗用車の運転をする。両手で洗顔。
 夏 (握力:右12.5kgw 左9.7kgw 体重66.9kg) 一人で電車・バスの乗降。
 秋 階段の上り下りで上体が安定してくる。食欲も少しでてくる。
 冬 (握力:右17.9kgw 左14.9kgw 体重67.3kg) 駆け足ができるようになる。両手指は左手で特に、押す・つまむ・はがす・さく・ひねるの動作がしにくく、寒いと脱力がひどくなる。


 平成24年 秋~冬のリハビリテーション詳細
 椅子に座って3.5kgの鉄アレイを持ち手関節の掌屈・背屈各50回。肘関節の屈曲50回。手首回内・回外各30回。前腕の天井への突き上げ30回。これらを左右で1セット×3。立位にて3.5kgの鉄アレイを持ち上肢の外転左右各30回。右下腿膝からの蹴り出し負荷をかけて100回。自転車エルゴメータ80W 毎分6070回転で15分~20分。ストレッチ10分。腹筋20回。また平日4kmほどの公道歩行を行いました。休日は買い物に出歩く程度でした。表情筋と舌の運動は、ひきつり・こわばりを感じたときに随時行っていました。


 平成25年 春~冬のリハビリテーション詳細
 同上 鉄アレイを4.5kgにしたことと、手関節・肘関節の運動時、同時にハンドグリッパー(10kgw)で握力のトレーニングも行いました。両足つま先立ち100回とスクワット60回を追加しました。腹筋は50回にしましたが、フラットまで背中を下げると腰が痛くなったので腰に負担がかからない角度までで行っています。また歩行は週1回、丘陵地の遊歩道で4kmほど行いました。この年は家族の外出や行事などの際に積極的に出歩くように心がけていました。
 リハビリテーションで気になっていたことは、1日にどれだけの量と質をこなせば適切かということです。基本の姿勢は、麻痺期では廃用性症候群を極力予防しつつ過用性筋力低下・過用性損傷・過負荷による神経症状の再悪化に注意を払う必要があり、回復期~安定期では軽い運動から始め、休息を入れて低負荷と反復(短時間の運動を頻回に行う)を原則とし、疲労感や痛みが翌日まで残らないようにするというものです。

 時期の分類
①麻痺期→麻痺が進行し四肢麻痺、呼吸筋麻痺が続く時期
②回復期→随意運動が出現し徐々に回復する時期
③安定期→四肢末梢の一部を残して麻痺がほぼ回復し、体力・持久力の回復が期待される時期
 目標
①麻痺期→二次合併症の予防
②回復期→可能な限りの筋力回復
③安定期→体力の向上、応用動作の獲得と早期社会復帰
 GBSからの回復は必ず起こります。しかしながら、運動神経や知覚神経、自律神経の障害の範囲と程度により回復期間が遷延する場合が少なくないようです。神経線維の残存により、神経線維の筋に対する再支配と刺激伝導における発火量の増大と同調および筋収縮の最適化により、かならずや機能は回復してくると考えられます。また筋線維 1本1本の増大も不可能ではないと思います。あとは根気です。Rehabilitation is the way to the life.(後述 “苺畑こぼれ話” のhomepageから引用させていただきました)を肝に継続していく他はないと思います。


 注釈と闘病雑感
1) パソコンを打っているときにギラン・バレー症候群(以下GBS)に罹っているのではないか?と疑りましたが、とにかく家に帰って様子を見ようと決めました。夜間は病院の検査も滞るので明日朝には受診しようと高をくくっていました。症状が進行してきてからは思考停止に陥っていたようにも思い出されます。遅くとも右足を引き摺りだした時点で受診すべきでした。
2) 筋力低下のピークは初発症状から6日目で、このときMMTは右上肢 近位0 遠位0、左上肢 近位02 遠位0、右下肢 近位01 遠位2、左下肢 近位01 遠位2 と酷く低下しました。ちなみにMMT 2は重力を除くと全可動域動く、1は筋の収縮は認められるが関節の動きは起こらない。0は筋の収縮が認められないです。
3) 膝頭の下など(筋肉の端にある腱の部分)をたたくとその刺激が末梢神経→脊髄→脳に伝達されて、そこで反転してたたかれた腱がついている筋肉を収縮させ運動が意識しなくても速やかにおこります(反射)が、この反射は通常は脊髄-脳によって抑制されています。今、運動麻痺が脊髄-脳系統の異常である場合はその抑制が失われるためと腱反射は亢進します。末梢神経~筋肉の異常である場合に腱反射は低下・消失します。GBSでは腱反射の低下・消失が特徴的とされています。
4) GBSでは知覚神経の軸索(一部の知覚神経には髄鞘はありません)が障害されることがあり、この場合の病型をacute motor sensory axonal neuropathyAMSAN)といいます。位置覚が障害されると四肢の姿勢を認識できないことがあります。深部痛覚は骨・関節・筋肉などの鈍く疼くような痛みの感覚のことです。
5) 髄液蛋白が増加するときは、細胞数の増加を伴うのが一般的ですが、蛋白量の増加が著明であるのに細胞数の増加がない場合をいいます。この所見はGBSで特徴的ですが、脊髄・脳腫瘍などでも見られることがあります。GBSでは解離の程度は病勢に平行して増大するとされていますが、病初期(症状出現から10日ほど)には検出されないことも多いようです。
6) 腕を通って指先にいたる正中神経を肘関節部で電気刺激すると、その刺激は神経線維の束をつたわって指先まで伝達されます。その途中の母指球部での電圧の大きさが、波形として記録できます。神経線維の一部が障害されると、その線維を通過する刺激の速度が遅くなり、いろいろな形の波形が持続するようになります。このように伝導速度のばらつきが大きくなることを、時間的分散が増大するといいます。
 時間的分散の増大は、HoらのGBSを脱髄性か軸索性かで、GBSを分類する基準のなかでは、これが2本以上の神経に認められるときは、脱髄型とされています。一方、F波は肘関節部で与えた刺激が、脊髄に伝わってそこで反射されて母指球部に戻ってきた刺激を、電圧として観測した波形です。したがって、正中神経全長にわたる神経伝導の機能が評価されます。また、軸索変性での神経伝導検査の代表的な特徴は、各神経線維の電圧の大きさの総和である複合活動電位の振幅(大きさ)の著明な減少(太い線維の障害の場合)です。細い線維の障害では、複合活動電位の振幅は正常範囲にとどまることが多いようです。
 このように、脱髄型か軸索型かの鑑別は神経伝導検査・筋電図検査と病理組織学的検査によってなされますが、通常後者は行われないので、前者の所見によってなされる場合が多いと思います。脱髄性の病変では、神経伝導の遅延と限局性ブロックが特徴的ですが、軸索変性では、複合活動電位の振幅の低下と脱神経所見(筋電図)が認められることが多いようです。しかし、これらの所見は部位によってさまざまなことがあり、自分は脱髄型であるかとか軸索型であるかとかは一概には言えず、身体の部位によって脱髄性であるだとか軸索性であるだとかが言えそうです。
) ガングリオシドは各人の神経組織にくっついている糖脂質でさまざまな種類があります。そのガングリオシドに対する抗体がなんらかの誘因で出現して自己の神経組織を障害することがGBSの発症機序と考えられています。その誘因として代表的なのが下痢などをひきおこすcampylobacter jejuni菌の感染で、この菌についているガングリオシドが人神経のガングリオシドと酷似しているために、c.jejuniを攻撃すべき抗体が誤って自己の神経組織を障害すると考えられています。血清中で検出される人神経のガングリオシド抗体は数種類あり、そのうちのいくつかはGBSの病型と相関することが指摘されています。私の場合は抗GD1b抗体が検出されました。これに相関する病型・臨床像は純感覚型GBSで失調を認めるとありましたが、私の臨床像とは合致しないように感じます。
 私はそうでしたが、病気になったことは自己責任であるかのように感じられ、相当自分を責めました。しかし、病気も自然現象で上記のメカニズムからも明らかになるようにまったく偶然の産物です。たまたま罹患したことは運が悪かったとでも考えておき、自分を責めるのは筋違いであることを強調したいです。
8) GBS治療のガイドラインによると、有効な治療はIVIgと単純血漿交換療法(PE)で、両者の効果に大差はないとされています。ではどちらが先にされるかというと、免疫グロブリンに対してのアレルギー反応の既往があるとか、脳・心・腎疾患があるとか、血栓・塞栓のリスクの高い人などにはIVIgが躊躇されるのでPEが第一選択されるケースがあると思います。
 通例ではIVIgが第一選択されることが多いようですが、IVIgの効果が乏しかったためPEを追加して効果が上がったという症例も報告されています。ただし、PEにも血圧低下など様々な問題点があり、人工呼吸器を装着した場合など重症例では進行がとまったかどうかの見極めが難しく、先行IVIg後自然経過にゆだねるかPEを行うかの判断は苦慮されると思われます。
 また、PEは発症後7日以内のできるだけ早期に行うのが予後を決定するとされており、至適回数は5m歩ける人には2回、5m歩けない人には4回が適切であると欧米の臨床試験で示されています。私はPE7回行いましたが、かなり体力を消耗したのは確かです。さらには呼吸不全のため3日で中断されていたIVIgを集中治療室退出直後に1コース(5日間)行っています。GBSの場合副腎皮質ステロイドの単独使用は推奨されていません。
9) GBSの自律神経障害には様々なタイプの不整脈・高血圧・低血圧・血圧変動・心電図異常・薬剤に対する血行動態の異常反応・発汗異常・尿閉・便秘や麻痺性腸閉塞・下痢などの消化管運動障害などが報告されています。GBS6割ほどに認められるといわれていますが、問題にされないこともあるようです。しかし、重症の場合は高度の除脈など心循環動態の異常をきたし死にいたることもあります。私の場合は洞性の頻脈と血圧変動、消化管運動障害がありました。GBSは運動麻痺に注意がむけられがちですが、自律神経障害はより重視されるべきかと考えています。
10) 身体的になにがしんどかったかというと、便秘でした。お腹がはるのでEDチューブからの注入量にも限度があり、また体が動かせないので腸も動きません。ガスも停滞しており、レントゲン検査ではガスで腸がパンパンな状態でした。ベッド上で摘便したり浣腸しておむつに排泄する行為はなさけないと思いましたが、仕方ありませんでした。
11) EDチューブからの注入栄養剤の種類や量と注入スピードによっては液体の急速な小腸内への移動とこれに伴う神経反射の変調で注入後すぐに発汗・心悸亢進などの症状をおこす場合があります(ダンピング様症状)。わたしも2か月ほどはこの症状(体温上昇・腹部膨満感・全身倦怠感もありました。)に随分苦しめられましたが、後にはやや楽になりました。便秘もそうだと思いますが、この症状はGBSによる自律神経障害に基づくものと考えています。
12) やっと家族で外出することができました。発症以来、家内には心配と過労のかけどおしでしたので涙がでました。子供はまだ幼いので事の重大性が十分認識できていないように思われましたが、子供心を痛めていたようです。毎年お城に弁当をもって花見に行っていたのに、それもかなわず悔しい思いを夫婦共々しました。回復も思わしくなく途方に暮れていましたが、リハビリテーションは力が全然入らないながら家族のためにもう10回、もう10回と懸命に取り組みました。
13) 長い5月の連休に病院リハビリテーションは休みでした。筋力の回復は微々たるもので、自主トレーニングもあまりできない状況のなか、時間の経過がとてつもなく長く感じその間一人になったときなど精神的な重圧感に責め苛まれました。日々の経過が解決してくれることを信じてひたすら耐え忍んでいた時期でした。
14) 口が小さくなっているような感じでした。開口障害はありませんでしたが、小さな食塊でないと口腔内におさまりきらないのです。口輪筋の筋力低下があるので、当然口をつむって食べるのは難しく油断するとこぼれてしまいました。以前「ギラン・バレー症候群のひろば」のhomepageで過去ログを参照していますと、口が小さくなったという私と同様の症状を訴えておられる方を一人お見かけしました。朝・昼・晩食べるとやはりしんどかったので努力して摂取していました。
15) 右膝を含めた装具を制作したらという提案がありましたが、私の状態に適した装具の型がなく、装着せずにリハビリテーションをすすめていくこととなりました。
16) 突然右肘関節の屈曲伸展がフラーとできるようになりました。MMT2-でした。妻がたなばたの短冊に「右腕が動きますように」と願いをかけてくれていたので殊更うれしかったです。
17) 指先の力がなかったため、紙袋を手首にぶらさげての独歩退院でした。両下肢ともに重く、地面が平坦でないとよろけましたが、転倒することはありませんでした。これからどのくらいかかるかわかりませんが、リハビリテーションをやりとげることを決意し妻と二人で帰途につきました。
18) 闘病生活中 internetの世界では多くの出会いがありました。このhomepageもそうですが、特に感動したのは、GBSに罹患され壮絶なリハビリテーションと生活記録を克明に行っておられる山内正敏さんのhomepage “回復の記録” と、疾患は異なりますが感動的な回復とリハビリテーションの軌跡をつづっておられるsally さんkatsuさんのhomepage “苺畑こぼれ話” でした。田丸さんはじめたくさんのhomepage blogの作者の皆さんに、心からありがとうと申し上げたい気持ちで一杯です。


 お詫び
 私は医療従事者ですが、神経内科医ではありません。個人的に多少勉強したことをもとにこの闘病記を書いており、信頼性に関する責任は全うできません。出典は明記していませんが、internet情報や学術誌・論文を参考にしています。軽く読み流していただければ幸いです。


 おわりに
 私はギラン・バレー症候群に罹患し酷い目に遭いました。また、現在も闘病中です。しかしながら、このhomepageと出会い、数千回は励まされたことでしょう。このhome pageがギラン・バレー症候群にかかわるすべての人のよりどころとなり、「ひろば」のように人や情報と出会い語らいお互いをたかめあって発展していくことを願ってやみません。病気は心を強くしてくれます。心が強くなれば、病は必ず克服できると信じています。罹患されている方やその周りの方々の心身の回復を心から祈念して筆を置かせていただきます。

                    (平成26年1月記)

〔管理人注〕
 本「闘病記」の「注釈と闘病雑感」の18)に紹介されているhomepage(のアドレス)は、次のとおりです。

   “回復の記録”
   “苺畑こぼれ話”


この闘病記は、「ギラン・バレー症候群のひろば」の管理人であった田丸務様を通し、O.T.様ご本人に転載のご意向を確認した上で、掲載しております。