闘病記(Lotus様)

Lotus 氏〔発症時(2回目)=平成17年12月、37歳、男性、会社員〕

   (奥様からの投稿)



1回目(22歳)

平成2年2月

 下痢を伴う風邪から始まり、手足に力が入らなくなる。
 手の筋力は0に近かったが、足の方は何とか歩ける位で軽症。
 2ヶ月程入院。当時はGBSの治療にはステロイドが効くとされていたため使用。
 3ヶ月程で社会復帰。

 空腹時や緊張する時に手先が少し震える程度の後遺症が弱冠残るが、それ以外は完治し全くの健康体に戻った。



2回目(37歳)

平成17年12月

 下痢を伴う風邪を3~4日ひく。すっかり治ってから口をゆすぐと、左口角から水が漏れ、少しおかしいと感じる。
 次の日、やはり口元がおかしく、動きも悪い。指先、足先が異常に冷たく感じる。
 前にGBSを経験していたので、またではないかと察し、すぐ近くの総合病院へ内科の外来受診をする。
 症状がGBSの時に似ていると訴えるが、GBS患者を診た事がないのか、『GBSならば一般的に足が先にくるはず』と、医師は脳の異常を疑っている様子。
 すぐにそのまま経過観察入院になった。


 入院1日目、症状は悪化し、朝には腕が全く動かなくなった。
 息も段々苦しくなっていく。
 トイレにずっと行っていない事をナースに告げると、尿瓶を用意してくれたが、出なかったので尿カテーテルを入れられる。


 入院2日目、医師もGBSではないかと考え、神経内科があり治療が出来る総合病院へ救急車にて転院。

 午後になると、足もほとんど動かなくなっていた。
 口もほとんど動かず、話も侭ならない。

 呼吸もどんどん出来なくなり、夜には経口気管挿管で人工呼吸器をつけられる。
 この時、動かせるのは眼球と首振りのみ。


 ナースコールのボタンは押せないので、首の当たる位置に大きい置き型でボタンの大きいものを置いてもらい、首振りでナースコールを呼ぶ。

 話が出来ないので、五十音を書いた紙であ行から読み上げ、目配せでYES、首振りでNOの意思表示でコンタクトをとる。
 して欲しい事のパターンは決まってくるので、それも書き出し、上から順に聞き、目配せでYESという。
 このどちらかで意思を聞くようにしていた。

 髄液検査、筋電図検査が行われる。
 血漿交換療法をすぐに始め、3日間行われた。

 親指がかすかに動く。
 手足の冷えがなくなり、温かくなってきた。

 血漿交換療法後、回復が良くないため、免疫グロブリンの投与が5日間続けられた。

 転院5日目から、PT(理学療法士)の先生が体の硬直を防ぐため、ベットサイドで体を動かしてくださる。


平成18年1月

 高熱が出たので採血すると、白血球の数値が高く、炎症反応も出ており、肺炎の疑いがあると言われる。
 ベッド上で簡易型のレントゲン写真を撮る。

 微熱が続き、体も動かせない、ナースコールを体位交換の際ちゃんとセットされず、ナースを呼べないなど、イライラがピークに達する。
 師長に相談したところ、やっと右足首が動かせるようになったので、ナースコールを足で紐で引っ張る形に変えてもらう。
 見回りもなるべく来てくれるようお願いする。

 筋電図検査をするが、前回のGBSの際どの程度の損傷があったのかが分からないので、はっきりしない。
 足の方はまあまあだったが、手の方がいまいちで、そう考えると軸索型の疑いがあると告げられる。

 経口気管挿管されてから8日経つ。経口気管挿管は10日位で限界なので、気管切開になった。
 見た目は生々しいが、バイトブロックが当たる事などの不快感を思うと、マシらしい。

 回復が遅いため、再度免疫グロブリンの投与5日間。

 髄液検査

 四肢の動きが少し良くなり、寝た状態で右の足曲げの保持ができるようになった。右の他の指もかすかに動く。

 ずっと寝たきりのため、肺が背中側に血液、胸側に空気が溜まり、流れが良くないので、肺が潰れ気味になり、状態がよくない。
 PTリハの時にベッドを上げてもらうようにする。

 ベッド上で洗髪してもらう。

 尿カテーテルのせいか、排尿痛が出る。尿意はあるので、カテーテルを外し、尿瓶に変えてもらう。

 右指5本、なんとなくグーができるようになる。

 口元は乾くのを防ぐ理由で、濡れたガーゼを口に挟んでいたので、あまり口の動きを見ることがなかったが、ドクターがチェックすると、縦の動きは良くなかったが、舌が少し出るようになった。横にもイーと動かせる。

 左の指先が少し動くようになる。

 自発呼吸が出てきて、呼吸器を外して2分弱保てるようになる。

 OT(作業療法士)の先生のリハビリが開始。ベッドサイドで手の硬直を防ぐため、動かしてもらう。


平成18年2月

 右足が60%程、自分の力で曲げ伸ばしが出来る。

 OTの先生が透明のプラ板で作った文字盤をくれる。
 言語障害のある人がコミュニケーションを取るのに使うもので、五十音を表で作ったものではなく、あ、か、さ、た、な・・・と板の周りに書いてあって、まずそこで選んで、次にあ、い、う、え、お と上下左右と目で合図するものに変える。
 五十音で追っていくより数段早く言いたい事が分かるようになった。

 2月中旬からそろそろ胃を使わないと駄目になってしまうので、鼻からチューブで白湯を摂取することになる。
 ここまで時間がかかったのは、自律神経も悪くなっていたので、胃腸の調子が分からなかったためらしい。
 ずっと胃を使っていなかったので、下痢が続く。

 白湯を始めて10日程後、白湯+経管栄養(流動食)の摂取が始まる。
 そのせいか高熱が出る。

  ※ 呼吸器の設定を徐々に下げていって、自発呼吸に馴らしていった。


平成18年3月

 肝機能が低下してきたので、経管栄養が中止になる。

 「お茶が飲みたい」という。ガーゼで少量から始まって、後々吸飲みでもOKがでる。
 嚥下障害は酷くなかったらしい。

 白湯から始まり、経管栄養がまた始まる。

 手をお腹に乗せたら下にずらす位の動きが出てきた。肩甲骨の動きも出てきた。


平成18年4月

 口パクに挑戦してみるが、「あ、い」は分かるが、「う、え」は曖昧、「お」は出来なかった。

 リカバリールーム(重症患者部屋)から3人部屋に移る。やっとTVが観れるようになった。

 呼吸器を外し、自発呼吸をするように訓練していく(1時間から)

 経管栄養の量が増えていく。

 PT 廊下で椅子を滑り止めした装具を着けて漕ぐ事。
 OT 車椅子に板をのせてその上で腕を動かす練習。

 リクライニングの車椅子乗って呼吸器を外している間だけ、部屋の外に出られるようになった。

 ゼリーやジュースが食べられ(飲める)るようになる。


平成18年5月

 口パクで大体の言っていることが、分かるようになってきた。

 呼吸器を外せる時間が延びてきたので、お風呂に入れてもらえるようになった。

 両腕がベッドから3040cm程上がるようになった。手首がひらひらと動くようになった。

 PT 歩行器+装具を使って立つ練習。
 OT 吊り上げた装具を着けてテーブル上で動かす練習。

 中旬、人工呼吸器から離脱。酸素のみの吹流しになる。

 ST(言語療法士)の先生がつき、口と舌の体操、ガムを食べてみたりする。

 寝返りが少し出来るようになった。

 車椅子で体重を計ってみたところ39kg。健康時で49kgだったので-10kg落ちていた。


平成18年6月

 食事を始めるにあたって、耳鼻科のドクターにファイバースコープで喉を見てもらう。
 喉が異常に腫れているのが分かる。

 気道への誤嚥の心配はないので、経口食がピューレ+スルーソフト(ゼラチンの粉みたいなものを混ぜて)から始まり、1週間後位には刻み食になった。
 食事を口から3食取れるようになったので、鼻のチューブが取れる。

 食事が始まったので、水を使っての歯磨きもする。
 ブラッシングは自分では出来ないので、やってもらって水を入れてもらって、吐き出す。

 3人部屋から大部屋へ移る。

 PT 左足首のみ装具を着けての歩行訓練。
 OT 斜板にタオルを持ち上げる練習。手首の力があまりないので、固定する装具
    を作ってもらう。

 オムツが外れ、尿瓶とおまるのようなもので対応

 マンガのページがめくれるようになった。

 下旬、ベッドから車椅子の移動が、ナース1人の介助で出来るくらい自分の筋力が出てきたので、便の時だけトイレに連れて行ってもらう。


平成18年7月

 ストロー付のコップで一人で飲めるようになった。

 自動装置付のベッドの操作が自分で出来るようになった。

 PT バイオデック(宙吊りの機械)で歩行訓練。ピックウォーカーを使って歩
    く。かなり自力で歩けるようになっている。
 OT カップの移動。スプーンやフォークの練習。服の着脱練習。

 耳鼻科で喉を見てもらうが以前、舌扁桃、喉頭自体が腫れている。
 細菌検査は異常なく病名も分からないので、組織(肉片)を一部取って検査。
 ガリウムシンチグラフィー検査。

 立つことが出来るようになったので、車椅子での入浴に変わる。

 髭剃りを両手を使って何とか出来るようになる。


平成18年8月

 カニューレ交換の際に穴を塞いで声が出るかやってみるが、息が口にまで上がってこない。

 PT 平行棒内を装具のみで歩く。左足のみだが階段を上がる。右足の突っ張る力
    は弱い。
 OT 筋トレ。指先(コイン、ピンペグ拾い)の練習、楽々箸を使う練習。ボタンの掛け
    外し、右手の装具無しで出来るようになる。

 週1回のカニューレ交換を慣れていない研修医が主にやるため、毎回、苦しい思いをする。

 後々思えば、かなり肉芽(にくげ・気管切開したとこに肉がつく)がついていたので、カニューレが入りにくかったものと思われる。

 喉の腫れは治まるが、声は出ない。

 尿瓶の使用を止めてその都度車椅子で、トイレに行く(介助人つき)。


平成18年9月

 刻み食から一口刻み食に変わる。

 PT 固い装具からプロフッター(サポーターのようなもの)に変えて歩行練習。
    杖無しでも平地なら少し歩ける。
 OT 筋トレ、指先練習。

 大きい筋肉(三頭筋など)は回復してきたが、小さい筋肉(手の中など)がまだ動きが悪い。
 手を広げたりが出来ない。

 耳鼻科の診察。気管と食道を振り分ける喉頭蓋に倒れ込みがあり、気道を塞いでいることが分かる。
 咳き込むと喉頭蓋が戻り、声が初めて出るが、まだまだカニューレは外せない状態だと分かる。
 喉頭軟弱(軟化)症になっていた。
 ただし、GBSで考えられる声帯マヒはなかった。

 肉芽切除手術

 歯ブラシがなんとか使えるようになった。


平成18年10月

 PT ペダル漕ぎなど筋トレ、椅子やトイレからの立ち上がり練習、歩行、階段。
 OT 筋トレ、指先の練習(藤籠作り)。

 この時の握力 右1kg 左1kg未満

 食べやすいようセットした後ならば、装具とスプーン(特殊タイプ)を使って食べられる。

 自宅に吸引器を買い指導を受け、初めての外泊で自宅に帰る。

 自宅ではシャワーチェアーと防水エプロンを購入、使用。


平成18年11月

 PT ペダル漕ぎなど筋トレ、歩行、階段。
 OT 筋トレ、藤籠作りなど。

 トイレが一人で行けるようになる。介助不要。

 東京の国立病院、耳鼻咽喉科外来受診。

 再度、今度は連泊で自宅へ外泊。

 中旬、一時退院。

 下旬、喉の治療を受けるため、東京の国立病院へ転院

 リハビリは主に筋トレをPT、OTとも引き続き行われるが、前の病院よりはリハビリの度合いは落ちる。

 喉の治療に関しては症例がないので分からないが、まずはずっと使っていなかった喉を使ってみて様子を見ることになり、前の病院とは違うタイプのスピーチカニューレに変えてみたところ、第1日目で咳き込んだ後だったが、ダミ声だったが声が出た。

 スピーチカニューレを着けてではあったが、声は割りと病気前と同じように出て、息苦しさもなかった。


平成18年12月

 入院10日目でこのままスピーチカニューレを着けた状態で、しばらく様子を見ることになる。
 カニューレ交換の指導を受け、一時退院。

 元の病院で神経内科、PTとOTのリハビリを通所で受ける。


平成19年1月

 PT 不安定なボードに乗って立つ(バランスを取る)練習←電車通勤に向けて。
    筋トレ。
 OT 筋トレ、指先の練習など。

 中旬、経過が順調なので喉のカニューレを抜き、縫合のため再度入院。
 人によっては気管切開の穴は自然と塞がるらしいが、穴が大きいので完全には塞がらないため、多少自然に塞がるの待って小さくなった後、縫合手術になった。

 10日間入院後、本当に退院。

 下旬に外来にて抜糸。
 後、外来で3度喉の様子を診るが、問題なく、喉頭軟弱症は治り、耳鼻咽喉科の外来も終了。

 車の運転ができた。


平成19年2月

 元の病院で神経内科、PT、週2回、OT、週1回とリハビリを通所で受ける。


平成19年3月

 同上リハビリ続ける。

 自宅静養。

 職場復帰に向けて会社まで電車通勤の練習をする。
 最初は妻同行。2回目は一人で。3回目は実際の通勤時間で一人で行ってみる。

 リハビリは3月一杯で終了。


平成19年4月

 休職していた会社へ職場復帰。

 ラッシュ時間を少し避け、行きと帰りは座れるようにしたので、通勤も可能になった。
 階段はかなり大変なので、エレベーターやエスカレーターを必ず使う。
 杖と左足首に装具を着けて歩く。

 セッティングしておけば、大抵の日常生活はできるようになり、入浴も一人で出来るようになった。


平成19年6月

 身体障害者手帳の申請の為リハビリ外来にて認定医のドクターの診察を受ける。

 両手指7級×2
 右ひざ 5
 左足関節 5級  で合わせて4級相当 と診断。

 握力 右:8kg 左:6kg

 翌月、取得。

 以上。



● 補 足 ●

 主人は稀に見る2度のGBSでしたが、大抵の人は再発、再燃はしませんので、あまり心配なさらないでください。

 本来ならば、総合病院からリハビリテーション病院へ転院というのが一般的なのですが、カニューレを着けていたことでリハビリテーションには入れなかったのと、喉の治療方針が決まらなかった理由で、結果、総合病院での入院が長くなってしまいました。

 喉頭軟弱症という病気にかかり、何らかの形でGBSと関連はあると思うのですが、GBS自体、まだ不明な事が多い「難病」ですので、なぜこのようになったのか今の医学では分からないようです。



● あとがき ●

 長い闘病生活でした。

 今、振り返ると、かなり重症だった割に主人は冷静で文句も少なく、あの状態にしては手が掛からなかった方だったと思います。

 主人のもともとの性格と2度目ということで、GBSに関する知識があり「必ず治る」と知っていた事が大きかったと思います。

 ここで当HPをご覧の方は、ご本人、家族、友人・知人とGBSになられてしまった方がいらっしゃるのでしょう。本当にご心配、不安が尽きないと思います。

 私も、こちらで皆さんの体験談を読まさせて頂いたからこそ、前向きでいられました。

 重症患者でしたが、主人も何とか社会復帰まですることが出来ました。ぜひ「ここまで良くなった人がいるよ」とお話して頂けたらと思っています。

 結果的には、左足首が麻痺、右ひざが弱い、指が完全に曲がらない、力がないなど、少しずつ後遺症は残ってしまい、外へ出るには杖が要ります。

 もしかしたら、後遺症が残った事で読んでくださった方を、残念なお気持ちにもさせてしまうかもしれません。

 実際、主人の生活が前と全く戻ったとは言えず、毎日通勤しているものの疲労はかなりのものですし、外へ出れば苦労は多いですし、出来なくなってしまった事もあります。

 しかしながら、当初かなりの重症で、回復具合も良くなく、ドクターから『車椅子での生活も考えた方がいい』と言われていましたので、ここまで回復出来たことに、本人も家族も喜んでいます。

 主人はもちろん、付き添っていた妻である私も、この主人の病気で大変な思いをしましたが、命の重さ、健康であることのありがたみ、周りの人の大きな支え、家族の大切さなど掛けがえのない事を学んだと思っています。

 そして今、幸せに暮らしています。

                        (平成19年7月 奥様からの投稿)


この闘病記は、「ギラン・バレー症候群のひろば」の管理人であった田丸務様を通し、Lotus様ご本人に転載のご意向を確認した上で、掲載しております。