闘病記(KIKU様)

KIKU 氏 〔発症時=平成26年1月、41歳、男性、会社員〕


 <はじめに>
 約4年前にダイエットのためにジョギングを始め、趣味になりマラソン大会などに出場するようになっていました。

 酒も毎日飲み、元気な印象しかなかった自分が、まさか聞いたこともないような病気にかかるとは思いもしませんでした。

 2014年の新年を迎えたその日、軸索型のギラン・バレー症候群を発症しました。一気に全身が動かなくなり、呼吸も弱まり、人工呼吸器装着まであっという間で、その後は「もうダメかな」と何度も思いました。

 しかし、家族をはじめ、周りのみんなの励ましなどがあり、医師や療法士の方々から「奇跡の回復」と言われるほど順調に回復しました。

 入院初期の頃は、退院まで1年、社会復帰まで2年はかかるだろうと言われましたが、2ヶ月で退院、3ヶ月半で会社に戻ることが出来ました。

 他の皆さんに比べると、簡単に社会復帰出来てしまった感じなので、投稿を迷いましたが、こういった例もあると参考や励ましになればと思い、投稿します。

 病気になってしまったことは仕方ないと、明るく前向きにリハビリしていますので、お気に障られる方がいらっしゃるかも知れませんが、悪しからずお願いいたします。



2013
1223日(月)

 2013年最後のレースとして、加古川マラソンのフルの部に出場。

 後半ペースダウンをしたけど、自己記録の3時間33分で完走。その夜、来年は3時間30分を切ることを目標にと、仲間と酒を呑み語り合っていました。


12
24日(火)~28日(土)

 営業職である自分は年末の挨拶回りをしていた。

 この週はずっと下痢が続いていた。体力にもある程度自信があったので、その内に治まるだろうし、もう少しで年末年始の休みに入ると放置、我慢していた。

 最終日は打ち上げが事務所であったが、具合が余りよくなく、二次会には不参加。「二次会に来ないとは、珍しい」とみんなに言われていた。


12
29日(日)~31日(火)

 下痢も治まり、大掃除や年末の買い物などで慌ただしく過ごす。特に問題もなく、2013年を終えた。


2014
年1月1日(水)

 朝の起床時から眩暈と若干の手の痺れがあった。

 お節料理とお雑煮の朝食を摂り、家族で年始の挨拶。多少、具合が悪いぐらいなので我慢して、京都の自分の実家へ。自分の運転で向かう。途中、ファミレスで昼食。食べて元気を出そうと完食した。

 実家で挨拶した後、眩暈が少し酷くなり、ソファーで昼寝していた。夕食は父、母、妹親子と外食。ここでも食べたが、辛くて会話はしていない。

 目がおかしくなっていたので、帰りの運転を妻に代わって貰った。家に帰るまで隣でナビをしていたが、具合は横這い。家に帰りつくと気分が悪くなり、嘔吐。そのままベッドに行き、就寝した。


1月2日(木)

 朝8時頃、妻の大阪の実家に行くのどうすると聞かれた。気分が優れないので、妻と子供達でいって貰うことにした。

 10時過ぎに起床し、ベッドから降りると尻餅をつき、そのまま立ち上がれない。とりあえず、お尻歩きで階段を何とか下り、リビングでTVを点けて横になる。何か食べようかと思ったけど、億劫でやる気にならない。ボーッと箱根駅伝を眺めていた。

 午後1時半頃、妻の携帯に自宅から電話をした。すると声が上手く出せない。何とか「もうダメだ、救急車を呼ぶ」と言うことだけ伝えると、帰って来てくれると。約1時間後、妻が帰って来てくれ、救急車を呼んでくれた。

 意識はあったが、呂律が回っていない。救急隊員の問いかけに答えるのがやっと。

 3時過ぎに隣りの市の脳神経科がある救急病院に搬送された。手の痺れと脚が動かないことより、脳梗塞もしく脳出血を疑われ、検査。MRI、CT、血液検査を実施するも、何の異常も見つからず。

 とりあえず、脳梗塞を抑える薬を点滴するが全くよくならず。

 夜8時半頃、入院が決まる。この時点でギラン・バレー症候群を疑われたらしく、髄液なども採取された。


1月3日(金)

 具合は更に悪くなっており、物が二重に見える複視の症状が顕著になっていた。

 昼前に妻が病院に来てくれた頃には、手が動かなくなってきていた(妻が言うには、もう見えているかどうかも分からない状況だったようだ)。

 昼になり、お粥と少しのおかずの昼ご飯が出た。自分で食べられる状態ではないので、食べさせて貰うが、噛めない飲み込めない。4~5口ほどでもう食べられなくなった。

 その後、看護師さんから「朝より状態が悪くなっている」と院長に伝えて貰ったらしい。直ちに院長より「ICUに急いで運ぶように」との指示があった(らしい)。

 ここで、妻から年末の下痢の話があったらしく、「ギラン・バレー症候群」と診断された。

 この頃には呼吸も弱まって来ており、症状の余りの進行の速さにICUの真ん中に寝かされ、「予断を許さない状況」に陥ってしまっていた。


1月4日(土)

 ガンマ・グロブリン大量投与療法。昨日から5日間この治療法を試みることになっていた。治療を開始して本日で2日目。

 妻の後日談では、症状は更に悪く進んで行っているように見えたらしい。鼻からの人工呼吸を施され、呼吸を補助されていた。もう全身が動かない状態で、目も見えない。辛うじて光だけを感じていた。その中で意識がある時は話が聞こえる。

 いろいろと深刻そうな話が聞こえるが、他人事のように思えていた。


1月5日(日)

 意識がある時は、ハッキリと音だけが聞こえる。妻の声は認識出来ており、「今日は何日の何曜日」と、この日から伝えてくれる。明るい時は朝、暗いと夜と思っていたら日にちが分からないので、ありがたかった。

 「1月5日」と聞き、「明日から会社だなあ」と、ボンヤリと考えていた。

 この日、妻が父と母を連れて来てくれた(らしいが、よく分からなかった)。

 ガンマ・グロブリンで症状が食い止められない場合、血漿交換法も試すことになった。進行が止まらず、これ以上進むと命を落とす可能性があるとのことらしかった。


1月6日(月)

 昨日より更に意識がハッキリしている時間が長い感じがした。

 少しずつ目が見えるようになってきているような気がしたが、視力がかなり悪くハッキリ見える訳ではないので、気のせいかも知れない。

 手足は全く動かない。辛うじて、舌だけが動くようになっていた。

 この日から療法士さんが手や足のマッサージや曲げ伸ばしをしてくれていたが、何をされているか分からず、ただ痛いだけだった・・・。

 神経内科の医師から妻に、ギラン・バレー症候群についての説明とリハビリなどについて話があったらしい。相当状態が悪く、リハビリは長期かかるであろうとのことで、年単位の話になると。

 現状、後遺症が残る可能性が高く、上手くいっても退院まで1年程度はかかるだろうし、社会復帰はリハビリを経て、更に1年はかかる見通しとのことだった。

 また、会社に電話をして、長期の休みが必要である旨を連絡してくれたらしい。


1月7日(火)

 ガンマ・グロブリン療法の1セット目がこの日終了。

 まだ底を打っていない。予断は許さなかったらしいが、手が少しずつ動くようになってきていた。ホントに少しずつで、もどかしいことこの上ない状態。


1月8日(水)

 少しずつ、妻の問いかけなどに、反応が出来るようになってきた。手をギュッと握り返してくれると、喜んでくれた。これは、看護師さんも同様だった。

 意識がしっかりしている時間が長くなっており、動かないこの状態を悲観するようになる。「死んだ方がマシかな」と一瞬思ったりしたが、体が動かないので出来る訳もない。


1月9日(木)

 耳だけが冴えており、やたらと人の声が聞こえる。しかし、手も足も殆ど動かない状況が続いている。

 悲観してみたけど、余りに考える時間が長いので、そういうのも疲れてきた。

 治ったらこんなことをしよう、などのプラス方向の事だけを考えるようにした。


1月10日(金)

 曲げ伸ばしをして貰うことにも慣れてきたのか、痛みを感じないようになってきた。手を握ることは出来るようになってきた。当然、スムーズではないが。

 この日、自発呼吸可能かどうかのテストが行われ、人工呼吸器を外す検討がされた。

 しかし、テスト中に発熱し、肺炎になり再度命の危機に陥り、一時の好転から逆戻り。気管切開術→人工呼吸器設置と状況は悪くなってしまった。しかも、自分は麻酔が効きにくいことを伝えることも出来ず、喉の奥に装置を差し込む際、余りの痛みに悶絶、目の前が真っ白になり失神した(この時、「死んだ」と思ってしまった・・・)。


1月11日(土)

 喉の装置のせいで不自由さが更に増した感じがする。話が出来ないらしい。元々話など出来ていないので、そこは変わらない。入院してもう10日か、ちっともよくならないなあと考える。なるべくネガティブにはならないようにしてきたけど、こういう時もある。

 指は辛うじてグー・チョキ・パーが出来るようになってきた。が、それだけ。

 他はまだ余り動かない。

 週明けからガンマ・グロブリン療法の2セット目が開始されることになった。


1月12日(日)

 この日は平城京マラソン。3年前、初めて大会に出た思い出のレースだ。

 次男と親子で出場するはずだったけど、出られなかった。一緒に出ようと約束していたラン友達はどうなったんだろう・・・と考える。妻が次男を連れ、大会に行き、ラン友達に事情を説明してくれたらしい。友達が自分のゼッケンを持って走ってくれ、次男を「父ちゃんは絶対に大丈夫だ!」と励ましてくれたことを聞き、涙が出るほど嬉しかった。

 この時、「もう弱音は吐かない、絶対に治ってまた走る」と強く思った。

 喉の手術をしてから呼吸が格段に楽になった(痰を取って貰う時が苦しいけど)。

 腕が少しだけど動かせるようになってきた。少しずつだけど、確実に進んでいる。


1月13日(月)

 目が見えるようになってきた。今度は気のせいではなく。手足も(自分なりに)かなり動かせるようになってきた。ただ、時折幻覚を見るようで気が付くと手を縛られていた。暴れてしまっていた様子。

 ガンマ・グロブリン2セット目を開始し、底を打ち、回復傾向であるとの説明を受けた。

 この頃になると、話を理解していることを向こうが分かるようになっていたらしく、いろいろな説明を受けた。リハビリは長期にわたる見通しであること、入院→リハビリ病院へ転院なども考えられることなど悲観的な内容が多かったが、何も知らない状態よりは全然よいと思った。


1月14日(火)

 意識はハッキリしているが、半分ほどは幻の風景の中にいる。

 喉の呼吸器のため、声が出せないのでコミュニケーションが取れない。身振り手振りで自分の意思を伝えようとしたが分かって貰えない・・・。悲観していても仕方ないので、その内に取れるようになると強く思うことにする。

 また、水が飲めないので喉がやたらと渇く。アクエリアスやコーラを飲みたい。これらを飲むことを目標に頑張ることにした。


1月15日(水)

 妻が「あいうえお表」を作ってくれたけど、複視のために上手く見えない。しかも上手く指をさせないので、使用不可だった。何とかジェスチャーで意思伝達を試みるが、これもまだ難しい。

 医師より、回復傾向だが、投薬治療(点滴)は現在も継続中と説明を受けた。この医師にはそこら中をハンマーで叩かれ、軽いトラウマになった。恐ろしい・・・。
 療法士さんが熱心にいつもマッサージしてくれるので、大違いだと思った。


1月16日(木)

 右手の動きが、左に比べてよくなってきた。あくまでも程度問題ではあるけど。バンザイも一応出来るし、首もギギギと音が出そうだが動くようになった。

 目も複視は全く戻らないけど、(多分)視力は戻ってきた感じだ。

 リハビリ計画を聞く。リハビリの担当は3名で、言語聴覚士さんがチーフで首から上を担当。あとは上肢と下肢とで担当を分けて理学療法士さんが2名。失調(出来ていたことが出来なくなる)の説明と、どこまでリハビリで戻るかを今後リハビリを行いながら確認したいとの話だった。

 この時点では、完全に元に戻ることは難しいとのことであった。


1月17日(金)

 ICUに居ながらにしてリハビリがスタート。

 起き上がることも既に出来なくなっている状況なので、まずは座ることに。両側から起こして貰って座ることに挑戦するが、頭がクラクラして倒れてしまう。血圧・心拍数が上がり過ぎたためらしい。再挑戦したが、左右も前後もバランスを取るのが難しく、態勢が保持出来ない。1ヶ月前はフルマラソンを走れたのに・・・とショックを受ける。続いて測定した握力は何と両手とも5kg。以前の10分の1になっている。

 もうイヤだ、こんなの絶対に元に戻れるわけがないと、早くも挫折しそうになる。しかし、いやいやまだ危なくなって2週間、諦めるのが早過ぎると考えることにした。体中に痺れが出てきていることも神経が繋がっているからと考えることに。


1月18日(土)

 今日も座りに再チャレンジ。昨日の今日で全く自信なし。しかし、フラつきはするけど思ったよりも座れた。重心がズレても修正できる感じ。長く座るとまだしんどいけど、10分ぐらい座ることが出来た。格段の進歩だ。

 ちょうど妻が面会にきてくれたところで、見て貰え、喜んで貰えた。昨日出来なかったことが、今日は出来ている。もしかしたら、明日は今日よりもっと出来ることがあるかも知れない。病気になる前の自分は忘れて、「今がベスト」と考えることにしよう。

 言語聴覚士さん(リハビリチーフ)に「劇的な回復、考えられない」と言って貰った。せっかく座れたから、名前を書いてみようとチャレンジ。ペンが持てない。何とか持つけど、マトモに書けない。

 まあ、今日は座れたから十分だし、またその内に出来ればよいだろう。

 深夜、乾燥から余りに咳き込み過ぎて、喉から出血し、呼吸器に逆流。息が苦しくなり、アラームが鳴り響く。苦しんでいると看護師さんと院長先生が登場。急遽、前倒しで人工呼吸器を外して貰えた(月曜日に外す予定だった)。呼吸器を外した穴を抑えながら、声を出すように促される。怖々声を出す。実に15日ぶりに声が出せた。小さなことだけど、嬉しかった。


1月19日(日)

 やっと声が出せるようになり、看護師さん達と会話が出来た。

 自分の回復ぶりを凄く喜んでくれた。

 そして、入院以来外されていた眼鏡を装着する。目は見えるけど、物が全て二重に見える。それもかなり離れた二重で、非常に見づらい。しかし、片目ずつはしっかり見えている。漫画を貸して貰ったけど、読むのが難しい。ゴルゴ13がギラン・バレー症候群と書いてあった。どうでもよい知識。

 面会に来てくれたカミさんといろいろなことが話せた。中でも自分のこれまでの経緯などの詳細には、少しショックを受けた。ただ、やはりコミュニケーションを取れるようになったことは、大きいなと思った。

 日曜日はリハビリが休み。

 自分が回復してくるにつれて、ICUの環境が辛くなってきた。周りの呼びかけにも敏感になり、夜が眠れない。ハッキリ言って、夜が怖くなってきた(よくあることと看護師さん談)。

 また、背中が痛くて堪らない。湿布薬と睡眠薬を出して頂いた。


1月20日(月)

 呼吸器が取れたので、嚥下テストを実施。3さじの水をむせずに飲めればOK。OKなら水が飲めるようになる。ダメなら水も食事も延期。しかし、余裕でクリア。心配することなかったみたいだ。これでお茶が飲めるようになったし、明日から食事が食べられる。凄く楽しみだ。

 本を読むのに少し慣れたけど、目も疲れるし、持つ腕が痺れてきて長時間は難しい。

 この日はお風呂の日。髪を洗って貰ったり、体を拭いては貰っていたが、風呂は初めて。寝たままお風呂に入れて貰えるらしい。

 しかし、意識が正常に戻ってきてからは羞恥心が出てきている。小は尿管だけど、大はオムツに出来なくなっている・・・。お風呂も完全に裸で入れて頂くだけに非常に恥ずかしかった。これはもうイヤだ。

 リハビリではついに立つことに挑戦。もちろん、両側で支えて貰って立ってみる。予想はしていたけど、真っ直ぐに立てない。難しい。前後左右にゆらゆらと揺れている。辛うじて立っているだけ。こんな状態で立って歩くなんてハッキリ言って無理だと思う。

 今までどうやって歩いていたのだろう?こんなに小さな足で立って歩いて走る。人間って凄いなと思う。

 カウンセリングでは、心配していた舌の麻痺は少なそうとのこと。言える音と言えない音があり、まだまだ会話で難しい部分がある。しかし、あの状態から2週間しか経っていないので十分らしい。


1月21日(火)

 ICUも間もなく20日。早く一般病室に移って子供達にも会いたい。

 昼食から待ちに待った食事。全粥でおかずは細かく刻んであるけど、十分なご馳走だ。実に20日ぶりの食事。スプーンを持つのも大変で汗だくになりながらも一生懸命食べた。

 午後に鼻のチューブを外して貰い、チューブも少しずつ減って来た。夕食も完食したが、まだ手元が怪しくこぼしてしまう。子供みたいだと思う。

 リハビリではフラつくけど、漸く立ったまま保持出来るようになった。やはり少しずつ出来ることが増えている。絶対にプラス思考で行こう。

 呂律もまだ怪しく、舌が上手く回らない。まあ、気長に行くしかないだろう。上半身の筋力もまだ弱々しい。情けないが、仕方ない。


1月22日(水)

 明日から一般病室に移れるかも知れないとの連絡があった。嬉しい。手や腕の肌もボロボロだし、爪も真っ黒だ。まずは爪を切らないといけない。

 夕方、妻が面会に来てくれた。この時、長男も一緒だった(本当は子供は入れないらしい)。ビックリした。元旦以来の再会で会えてとても嬉しかった。いろいろと話をし、止まっていた時間が再び動き出したと感じた。

 リハビリは昨日よりも立ってもフラフラしない。ただ、まだ自分では立ち上がれない。また油断すると後ろに倒れる。歩行器で歩く訓練に入る。難しい。足も出にくいし、自力歩行はまだまだ遠い。

 上半身は少しずつ軽い筋トレのようなリハビリをしている。握力は一応10kgまで回復。しかしながら、ペットボトルも空けられないし、全く実感がない。

 呂律は昨日よりなぜか発音出来る音が増えている。

 1日でここまで上向くとは普通はないらしく、かなり劇的な回復と。

 不眠が続く。というより悪化している。睡眠導入剤を変更頂いた。


1月23日(木)

 朝、午後に一般病室へ移動可と言われる。やっとICUを出られる・・・。

 午前に洗髪と体拭きをして貰い、心電図を外して貰った。最後の点滴を受け、昼食後に点滴の針を抜いて貰う。

 移動の準備をし、病室へ移動。21日目にしてやっとICUを出られた。妻への連絡をお願いし、下剤を頂く。1週間の便秘を何とか解消したい。

 移動後にリハビリを実施。立つ練習を行い、やっと自力で立ち上がることが出来た。次は手を使わずに立つようにと挑戦したけど、これはまだ出来ない。足の踏ん張りが足りない。その後、車椅子の使い方を教えて頂く。

 カウンセリングでは、麻痺でズレていた左目が少しずつ戻ってきていると。普通は数か月かかるものが数日で戻っており、信じられない、とのことだった(かなり興奮されていたので、多分本当なのだろう)。相変わらず発音がもどかしいが、水準以上の戻りなのでこの点は心配ないと。

 妻が次男と次女を連れて、面会に来てくれた。やっと子供達にもゆっくり会えることが出来、非常に嬉しかった。ここまで来れたことを家族に感謝したいと思う。


1月24日(金)

 朝に妻が早い面会に来てくれ、携帯電話を持って来てくれた。着替えや洗濯物の管理など、やらなければならないことが増えてきた。今までいかに看護師さん達にお世話になっていたか改めて実感する。

 また、背中も痛く痺れるので、なるべく座ることを心がけるようにする。

 携帯メールを打ってみる。これが非常に難しい。画面が見辛いし、指がグローブの太さぐらいの感覚。一瞬でイヤになる。

 しかし・・・、何のために出てきたのかと自分を奮い立たせて再挑戦。まずはずっと心配してくれているだろうラン友達にメール。次いで、会社の友達や同僚に打ったけど直ぐに限界。目も疲れたし腕も手も痺れまくって。たった4~5通のメールを打つのに2時間近くかかりました。

 リハビリでは昨日出来なかった手を使わず立つ練習。今日は出来た。やはり、少しずつだけど出来るようになっている。次は爪先立ちに挑戦。これまた出来ない。体重をかける点が分からない。前後にグラグラ。

 多分、また明日出来る。と段々と根拠なしポジティブになってきた。

 歩行器を使って歩く練習。病棟のフロア2周で息が上がる。100mぐらいでハーハー。情けないけど、情けなさにも慣れてきて平気になってきた。


1月25日(土)

 昼過ぎに家族の面会。長女が来てくれ、漸く子供達全員に会えた。家族全員、元気そうで何より。あとは自分が頑張るだけだ。

 リハビリでは手先のテストが予定されていたが、月曜に延期に。立つ練習では、もう手を使わずにスムーズに立てるようになった。爪先立ちも少しは出来るようになっている。次なる指令はスクワット。これはやはり出来ない。

 しかし、毎日ほんの少しずつではあるが、確実に前進していることは実感出来た。

 歩行器練習に今日から愛用のランニングシューズを使う。少しよい感じに歩けたような気がする。療法士さんからも「スムーズになった」と。

 言葉の練習では、言えなかった音が少しずつ言えるようになっている。確実に失調が薄れているようで、もう少しで普通の人並になりそう、と言って貰った。

 夕方、会社の友人が早速面会に来てくれた。いろいろと話をするうちに言葉も少しずつスムーズに出るようになってきた。自分に会えたことにホッとして、涙ぐんでもいてくれた。よい友人を持って幸せだ。


1月26日(日)

 日曜日はリハビリが休み。

 日曜日は院長回診があり、残っている尿管を抜いて欲しいと直訴。明日に抜いてもよいとのこと(尿管があると自由が制限され、非常に不快になっていた)。

 朝、他県に住むラン友達が、午後は会社の上司と後輩が相次いでお見舞いに来てくれた。後輩がギラン・バレー症候群について詳しく教えてくれた。

 「何でそんなに詳しいの?」と聞くと「みんなで調べたから」と。「会社でKIKUさんを知ってる人は全員調べましたよ」とのこと。そんなにたくさんの人に心配して貰えてるとは思わなかった・・・。少し驚いた。

 会社から「ゆっくり治してから復帰すればよい」と言って頂いた。正直、嬉しかった。


1月27日(月)

 ついに尿管が抜けた。これで自分を繋ぐ管が全てなくなった。

 長期間、管が入っていたので、しっかり溜めてちゃんと出せるかどうかテストされた。失敗するとまた繋がれる。必死になりながらもクリア出来た。この後は車椅子を勝手に借り、勝手にトイレに行く(許可はなく)。いきなり立って小を済ませたり、自分リハビリを勝手に進めてみた。

 リハビリで手先のテストを実施。細かい動きが出来ない。指が、前腕が思うように動かない。テスト結果は75歳レベル。まあ、仕方ない。これから戻して行けばよい。

 歩行訓練ではマット上で膝立ち歩きをする。手と足が同時に出る。難しい。頑張ると倒れてしまう。

 スクワットは10回出来た。土曜日は出来なかったのに。


1月28日(火)

 病室を更に移動。段々とルームメイトも元気な人達になってきた。

 火曜はお風呂の日で、今年初めて湯船に浸かれて感激した。未公認ながら、車椅子でのトイレも安定して行けるように。

 そろそろお粥を何とかしたいと言うと、次からご飯にしておくと。お見舞いのお菓子も何を食べてよいと。

 上半身のリハビリではリハビリ室での軽い筋トレが始まった。細かい手先作業(爪楊枝サイズの棒使用の組立)も実施。

 歩行訓練の膝歩きは昨日より出来ている。バランスもよくなっており、明日に歩行器なしで歩いてみようと。

 本当に毎日少しずつ少しずつ、着実に前進している。やったこと(練習)は嘘つかない。リハビリはマラソンに似ている。

 発音練習を行うと、先週より更によくなっている。おそらく、よく会話する人以外にはもう分からないレベルではないか、と。

 名前と住所を書いてみる。自分の評価では70点ぐらいの出来。字は最後に書けるようになるらしく、この点でも有り得ない速度の回復らしい。


1月29日(水)

 朝、車椅子に乗って体重を量りに行く。62kg10kgも減っていて軽くショックを受けた。

 リハビリでは、ついに歩行訓練に突入。いきなり歩行器なしで歩くことに挑戦させられる。何とか歩けるけど、フワフワした感じ。目も複視が続いているので、真っ直ぐに歩けない。歩くのもやはり難しい。ただ、これならその内に歩けそうな予感がする。足の痺れは少し薄れている。

 腕のリハビリで、直径3㎝の積木100本挿しをこの日から実施。これがまた難しい。柔らかい動きが出来ない。前にやっていたお婆さんに余裕で負けた。


1月30日(木)

 本日の午後は脳波と神経伝達検査、血液検査などを実施。脳波測定は1時間ほど。寝てもよいらしいけど、光を照射されるので寝られない。

 神経伝達検査は非常に痛い。どこかで感じた痛みだと思ってると、ICUで意識混濁の時に実施していたらしい。

 最近はリハビリで動き回っていたので、2時間以上の寝たきりにグッタリした。そのため、午後のリハビリは中止に。

 午前中に下肢関連のリハビリ。歩行器を貸し出して頂く。これで1Fのコンビニに行ける。リハビリ室まで歩行器で移動すると緩い坂道で大変。これもリハビリと頑張る。

 リハビリ室では今日も歩行訓練。フラフラながらもやっと歩けるようになったけど、まだ手足が合わない。ロボットのような歩き方がなかなか治らない。

 スクワットや爪先立ちは、各10回ずつスムーズにこなせるようになった。少しずつ前進はしている感じ。

 首から上はもう心配いらないレベルであるとのこと。このまま元に戻れる見込みであり、この段階では奇跡的な回復であるらしい。

 夕方、家族の面会時に歩行器でコンビニに行った。ずっと飲みたかったコーラを購入。スポーツ新聞も購入したけど、読むのが大変だった。


1月31日(金)

 ICUを出てから付けている入院日記を書き治す。字がマトモになってきたので、更なるリハビリのため。

 妻の看病日記を読み、想像以上の自分の状態にショック。考えていた以上に苦労をかけていたことを知り、涙が出た。

 リハビリでは手先の組み立てと積木挿しを継続、そして軽い負荷の筋トレ。

 歩行訓練では今後訓練では歩行器を使わないことが目標と言われる。膝立ち歩きはかなり出来るようになってきた。けど、歩くと違う。相変わらずフラつきと視点が安定しないことが問題だ。


2月1日(土)

 朝からお風呂。ほぼ一人でお風呂に入れた。よい感じだ。

 歩行器で一人でコンビニに行くことに挑戦。何とかクリア出来た。

 リハビリは上半身は担当不在で、軽くだけ。下肢関係はまずウレタンマットの上でスクワット、爪先立ち。これがまた難しい。

 そして歩行訓練。少しずつ足も引きずらなくなってきた感じ。多少バランスもよくなってきたような気がする。

 次は、階段に挑戦。足が上がらない上に目が悪いので、物凄く難しい。感覚だけで必死に上り下り。しかし、思うようにはいかない。


2月2日(日)

 日曜日は院長回診。

 「元気そうだけど、病気が病気なのでまだ暫く入院するように」とのこと。喉の気管切開の傷を見て頂き、今週抜糸しようと。

 リハビリは休み。

 腹筋を試すと10回出来る。3セットまで頑張ってみると、これも出来た。ついでに背筋もやってみると出来る。

 病気がすべてを取り上げた訳ではない。まだやり直せる筈だと思った。

 日曜日のため、お見舞いにたくさん来て頂いた。営業本部長、元上司の輸出部長。共にゆっくりしてから出て来いと。出て来たら、しっかりと復帰祝いをしてやると。

 会社の後輩夫妻、ついで家族も時間差で来て貰い、楽しい時間を過ごす。面会で楽しく話せるようになったことを嬉しく思った。


2月3日(月)

 夕食に巻き寿司が出たので、節分と知る。急変→ICUに入り1ヶ月が経った。

 神経外科の先生より、脳波・神経伝達共に特に異常なし、と。入院初期の脳波の乱れもなくなっているらしい。

 リハビリは上半身は軽い筋トレが続く。少しずつ楽になってきた感じ。積木挿し100本は左右共に3分30秒で5日間で1分ずつ短縮出来た。驚きの上達、回復ぶりとのこと。

 下肢関係は担当の療法士さんが休みのため、主に筋トレ。

 階段での歩行訓練も実施。相変わらず難しいが、感覚が戻ってきたかも知れない。

 目以外の首より上はもう全然問題ないレベル。

 退院や会社復帰などの事についても少しずつ考えて行こうとのこと。まだずっと先の話だと思っていたことに至り、よくなっている実感が出てきた。


2月4日(火)

 お風呂の日。入院して初めて完全に一人で入浴。

 徐々に身の回りの事も出来るようになってきた。手の痺れが半分の範囲になっているような気がする。内側の痺れが薄まっている。まだ痺れはいろいろなところに残っているが、これも前進だろうリハビリは下肢も少しずつ筋トレが入ってきた。

 真っ直ぐに歩くのは安定してきた。もちろん長く歩くと危なっかしいけど。

 階段を下り、外を歩く。久々の外は気持ちよい。

 上半身の筋トレは全て負荷をちょっとだけ高める。ほんの少しだけ、レベルアップした。


2月5日(水)

 目下な悩みは睡眠のこと。もう2週間以上、睡眠導入剤を服用している。ICUで夜が怖くなり不眠になり、前の部屋でも0時と3時に起こされていたからだ。しばらくは仕方ないだろうけど、よくなるのかも少し不安だ。

 今日、喉の抜糸をして頂いた。ついにこれで全ての物が外れた。

 リハビリ前に腹筋10回×3、背筋10回×3。日課になってきた。

 リハビリは上肢・下肢共にいつもと同様のメニュー。上肢は少しずつ負荷を大きくしているが、まだ子供騙しの筋トレレベル。下肢は階段の出口が複視のために見えないが、感覚で何とかこなすレベルに。


2月6日(火)

 朝、日課の腹筋と背筋に励む。もちろん、ベッドの上で。

 リハビリではリハビリ室を2周歩く。室内の歩きは安定してきた。線の上を歩く。これが足が重ならずに難しい。まだ典型的な症状が残っているらしい。

 次に片足立ちを試すと、各1分まで出来た。「この段階で上々過ぎる」と感心された。

 階段を下り、外を散歩。ここで「少し走ってみます?」と質問。無理じゃないかな?と思いながらも、とりあえず試してはみたい。「ゆっくりと駆け足で」とのことで、やってみる。が、足元がやはり覚束ない。フワフワしてる。わずか20m程で必死。

 3本目、ラストでやっと少しマトモに走れた感じ。足の裏に受ける衝撃は確かで、懐かしいものだった。もしかしたらと思い、嬉しかった。

 首から上のカウンセリングではこの段階で失調が殆どなくなっており、完治が望めそうと。

複視の件は動作範囲は戻ってきているので、このまま様子を見て行こうと。


2月7日(金)

 昨日のカウンセリングからなるべく両目での生活を心がける。片目を閉じると何でも出来るけど、両目だと難しいことも多い。

 飲み物を注いだり、歯磨き粉を付けたりとか。遠近感もズレているが、慣れるしかない。

 リハビリでは今日はスキップに挑戦。思っていたより出来た。階段も手放しで上り下り。下りの最後の1段だけ複視の影響で難しいが、それ以外は大丈夫そうな感じになってきた。

 今日も外で駆け足。昨日よりよい感じだけど、たくさん走ると少しフラつく。まだまだだ。

 上半身の筋トレも負荷に慣れてきた。来週からまた負荷を少し上げようと。

 積木挿しは右が3分10秒、左3分ちょうど。普通の病気なら退院のレベルまできていると。


2月8日(土)

 下肢リハビリは前後左右のステップと反復横跳びを実施。段々と難度が上がってきている。苦戦しながらも何とかこなすものの、かなり下手くそ。

 階段は4階まで往復。問題なくクリア。階段はもう大丈夫だろうとのこと。これなら、もう少しで歩行器がいらなくなるかも、とのこと。日ごとの進歩が嬉しい。

 上半身の筋トレはいつものメニュー。自分のペースでこなす。

 手先の組み立て作業や積み木差しも順調に少しずつよくなっている。ぎこちなさはあるが。

 その後、カウンセリングではPCのキーボードを打つ。まだ指の動きが重いのと動かない小指が邪魔をする。だけど、一応は打てる。

 これなら仕事も大丈夫かな。先生からもこの時点でここまできていると大丈夫だと太鼓判。


2月9日(日)

 日曜日は院長回診。

 目がまだ少し不安だけど、それ以外の回復は順調すぎる程との見立て。もう少し様子を見たいので、退院は月末予定にしておこうと。ついに退院の話が出た。

 日曜日はリハビリが休みで、今日もたくさんの人がお見舞いに来てくれた。仕事関係、趣味のラン関係、プライベートの友人、家族など。病気になる前はめったに会わなかった人にも会えたりするのが、また嬉しかったりする。

 みんなに心配して貰えて、自分は幸せだと思う。


2月10日(月)

 入院生活もついに40日を過ぎた。体重は相変わらず増えない。

 歩けるようになってきたので、ロビーに降りてTVを見る。1ヶ月半ぶりのTVだ。懐かしいと思いながらも直ぐに目が疲れて終了。

 リハビリでは、ついにリハビリ室まで自分で行くことになった(これはかなり異例で、普通は迎えに来てくれる)。

 ステップも反復横跳びもよくなっている。筋トレ、駆け足も少しずつスムーズに。

 上半身は筋トレ後に積木挿しと手先組立て。もうこれ以上やる事がない、と。

 リズム感も字を書くことも、失調はもうなくなっているとのこと。


2月11()

 リハビリはお休み。なので、日課の腹筋背筋だけでもと回数は15回×3にアップ。

 替わりの手先リハビリとして、お見舞いに頂いたnanoblockゼロ戦に取り掛かる。これが大苦戦。手先も覚束ないし、目が見にくく大変。何とか半分弱まで出来たかなというところで終了。リハビリになっていればよいけど。


2月12日(水)

 朝のスケジュールが大体安定してきた。

 6時起床、腹筋・背筋・ストレッチ・ラジオ体操。8時に朝食。規則正しいことを心がけるけど、朝はヒマだ。

 今日は神経内科の女医先生が回診に。怖い・・・。また叩かれるかもとトラウマだ。

 リハビリは両担当者共に不在。代理の方々で軽めのリハビリ。基本的に出来ることばかりで特に挑戦する事柄はなし。

 カウンセリングでは、早口言葉とリズム感を確認。特に問題なしと。

 カミさんの面会時に1月分の医療費請求書が来た。高額医療費にビックリ。凄い金額だ。


2月13日(木)

 日課の腹筋、背筋。この日から片足立ち1分×3を追加。

 リハビリでは反復横跳びを実施。動きは出来るけど、踏ん張りがまだまだ甘い。一本線上歩きと後ろ歩きは問題なく出来た。歩くことも少しずつだけど前進出来ている。階段の一段飛ばしにも挑戦。上りだけだけどクリア。階段はもう大丈夫だろう、と。駆け足も100mぐらいを2本。息は上がったけど、何とか。

 上半身の筋トレはそれぞれほんの少しずつ負荷増。

 この日、自分で会社に電話。営業本部長と本社総務の後輩に。現在の状況と見通しなどを簡単に連絡した。話す限りでは、問題なさそうだとのことだけど、無理はしてはいけないと言って頂く。月末に退院見込みであることを伝えた。


2月14()

 朝から大雪。寒いんだろうなと思うけど、中にいると分からない。季節感がない。

 大雪でもリハビリはしっかりとある(当たり前か)。上肢も下肢も徐々にメニューが固定されてきた。もう、新しくやることがないかららしい。

 会社に提出する診断書について相談。現状では退院後2~3ヶ月の加療などになるのではないかとのこと。


2月15日(土)

 大雪が残っている。奈良でここまで降って積もるのは珍しい。15年住んでて初めてかも。

 リハビリでは上半身はもうこれ以上は病院では何も出来ないレベル、とのこと。下肢は筋トレ中心の後、エアロバイクを実施。自転車を漕ぐのも出来そうな感じ。

 言語関係では久しぶりに発音などをチェック。もう全く問題なく、正常の人以上のレベルになっているとのこと。退院し仕事に復帰しても、話すことに困ることはないだろうと。


2月16日(日)

 今日は出られなかった京都マラソンの日。天気は上々で仲間の健闘を祈る。朝からずっと携帯でみんなのレースぶりを確認しながら、一喜一憂。自分が走ってる訳じゃないのに、応援で勝手に盛り上がった。

 日曜日は院長回診。月末退院の話が改めてあり、退院が決定した。

 診断書についても相談。2月末まで入院、退院後2ヶ月の静養にしておくと。4月末までに戻ればよいので、まだ時間もある。少し心の余裕も出た。


2月17日(月)

 いつも通りに日課の腹筋、背筋、片足立ち、ラジオ体操。

 その後に下肢リハビリ。ストレッチと筋トレの後に少し長めに外を散歩。こんなに長く外を歩くのは本当に久しぶり。担当の療法士さんに「これなら退院しても大丈夫かな」と言って頂いた。

 その後に駆け足。複視さえなくなればもっと行けそうな気がする。

 上半身関係はいつも通りの筋トレメニュー。

 手先組立も積木挿しも安定して3分以内でこなせる。普通の人レベルとのこと。

 目は徐々に正常位置に戻ってきているので、焦らずに様子見して行けばよいと。

 左足のリズム感が悪いとの指摘。左は足首がまだ動きが悪い。


2月18日(火)

 朝食後、師長さんに2月25日に退院したいことを相談。明日の返事。

 上肢・下肢リハビリは共にいつものメニュー。

 徐々に出来ることが当たり前な事が多くなっている。数日前、数週間前はあれほど苦労したのに。出来ることの有り難さは忘れたくない。


2月19日(水)

 退院が希望通り、2月25日に決まった。入院生活もあと1週間だ。長かったような短かったような。感慨に耽る間もなく、今日もリハビリ。

 リハビリは下肢からで、筋トレ、駆け足少しとエアロバイク。これでも汗だくだ。上肢はいつも通りの筋トレから手先組立、積木挿し。

 リハビリは安定して出来ている感じだけど、個人的には違和感はたっぷりとある。


2月20日(木)

 入院生活もついに50日を過ぎた。朝、会社に電話し、現状説明と見通しなどを連絡。

 入院リハビリもあと少しだけど、まだ力がないのと滑らかな動きが出来ない感じ。このままで大丈夫かなと不安はあるけど、退院してから考えることにする。


2月21日(金)

 相変わらず睡眠が悪い。加えて、昨夜はお隣さんが大暴れして全然寝られなかった。手術明けで悪夢を見たのだろう、自分も似たような事をしただろうし仕方ない。

 リハビリではついに400mぐらいのジョグを実施。もう少し行けそうだけど、療法士さんがついて来れないとのこと。

 上肢関連で、1月27日に実施した手の機能検査を実施。今回は100点で2040歳レベルになった。前回の75歳から正常に。握力は左右共に42kg。まだ満足のレベルではないけど、ほぼ元に戻ってきた。

 家族の面会時に荷物を少しずつ持って帰って貰う。退院が近づいてきたことを改めて実感。


2月22日(土)

 リハビリは上半身からで担当者不在。担当者が不在でもメニューは変わらず、いつも通りに実施。

 カウンセリングでは左足のリズムが相変わらず悪い。足首が硬い様子も変わらず。字のチェック。住所・氏名を書く。もう以前と変わらない感じで書けるようになった。

 下肢関係は面会があったので、お休みに。


2月23日(日)

 日曜日の院長回診のタイミング妻の面会。一緒に話を聞いて貰った。25日に退院だね、おめでとう、と笑顔で言って頂いた。院長とカミさんが入院当初は退院のことなど考えられなかったねと話していた。生々しい話の連発でこちらは笑えなかった・・・。

 日曜日はリハビリ休み。

 もう直ぐ退院なのは伝わっており、駆け込みで次々に面会。退院後に会社とかで会えると思うけど、そうでもないみたいだ。素直に感謝したい。


2月24日(月)

 いよいよ明日が退院。今日は病院で一日を過ごす最後の日だ。

 入院してから約2ヶ月。ホントにいろいろあったなと思いに耽る。

 入院費の概算を出して頂いた。今月もなかなかの高額だった。

 リハビリは今日が最後。下肢も上肢もいつものメニューで最終回。最後のカウンセリングも目以外は大丈夫と。

 リハビリ担当の3人の方々には本当にお世話になった。今後の外来検診の際にでも、元気な姿を見せるのが恩返しと思いたい。


2月25日(火)

 入院55日目、いよいよ退院の日を迎えた。昼頃に迎えに来て貰えることになっている。

 発病から約2ヶ月。もう2ヶ月なのか、たった2ヶ月なのか。入院当初、ICUにいた時は退院なんか考えることも出来なかった。それでも何とか退院の日を迎えられた。

 朝から会う看護師さん皆さんにご挨拶。一時は最重要患者扱いで、看護師さんは皆さん顔見知りになっている。

 お医者さん、看護師さん、介護士さん、療法士さん。皆さんのお蔭で退院の日を迎えられました。また、家族やお友達、会社の方々、たくさんの人にも支えて頂いた。

 退院してリハビリをしっかりして元気な自分を取り戻そうと思う。

 それがお世話になった皆さんへの恩返しだと思い、頑張りたいと思います。



*2月25日(火)退院当時の症状など

 一番酷いのは複視の症状。近くのものからずっと2つに分かれて見える。TVを観るぐらいの距離は両目を開けているけど、片目で見ている状態。

 掌から上腕の痺れは健在。両手共に親指と人差し指部分は痺れが緩和されている。腕が上がりにくく、背中の痺れもまだある。

 足は足首が硬いのと足の上がりが悪く、時々躓く。


2月26日(水)~3月9日(日)

 自宅療養期間に入る。3月10日の外来診察日まで家で完全に自分でリハビリすることに。

 まずはひたすら歩く。複視が酷いため、交通量が少ないところを選んで歩く。毎日1時間以上歩くことを目標に歩く。家の用事は目が悪いためと腕の動きがよくないので、敢えて手伝わず。近所の公民館のジムに毎日通い、軽い負荷の筋トレをする。

 毎日、ルーティンな日々を過ごすが、病院と違って刺激が多く飽きが来ない。

 ひたすらリハビリに励む毎日を過ごす。


3月10日(月)

 退院後1回目の外来診察日。血液検査の数値などは問題なし。

 筋力もよい感じで戻ってきているとのことで、順調に回復していると。余りに順調な回復ぶりに少し戸惑っているというのが正直なところ、とのこと。

 次回診察日を4月14日に設定、そこで問題なければ翌週に会社へ復帰予定とした。


3月11日(火)~4月13日(日)

 複視が少しずつ緩和されているような感じになっている。

 ただ、TVの距離がちょうど二重に見えて見づらい。手元やPCの画面はひとつに見える。

 リハビリの強度を少しずつ上げてみる。この頃は過用性筋力低下のことなど知らずに筋トレの負荷を上げてしまう(結果的には問題なかったみたいだけど、もう少し勉強も必要だった)。

 ジムのランニングマシーンで走ってみる。体は走り方を覚えているようだが、頭と中身が全く付いて来なくてショック。もの凄くゆっくりから徐々に走って行くと、3月下旬には多少走れるようになった。

 4月に入ると、複視がマシになったことより家事にも精を出す。掃除、洗濯、そして料理。包丁が多少怖かったけど、少しずつ元のように出来るように。春休みだったので、子供の面倒なども頑張って見ていた。


4月13日(日)

 職場の上司(と言っても一番偉い人)が自宅へ来訪。

 隣の部署への異動の旨を通知された。自分の身体を気遣い、遠方や海外出張が少ない部署に異動させてくれた。3年ほどしてから改めて活躍すればよいとのことを言って頂いた。


4月14日(月)

 退院後、2度目の診察日。

 病院まで5㎞と少し、ジョギングで向かってみる。早く出て早く到着したので、病棟やリハビリ科を訪問。余りの元気振りに驚かれた(そして喜んで頂けた)。

 診察では特に異常も見られず、21日から会社に行くことを了承頂いた。

 また、重篤な状態であったにも関わらず、非常に短期で回復した稀な症例であるため、データなどを使用させて頂きたいとの申し入れがあり、快諾した。自分の経験が今後どなたかのお役に立てればと強く思う。


4月21日(月)

 会社へ復帰。

 通勤の1時間は疲れたが何とか出社出来た。初日の疲労はかなりのものであったが、初日からフルタイムで出勤。

 その後1週間、フルタイムで出勤出来た。そしてGWに入ったが、カレンダー通りながらも何とか出勤出来ている。


5月1日(木) 現在の状況

 他人から見ると言われないと病気で療養していたのが分からない程らしい。それでも体重は病前より6kgほど少ない(ピーク時は10kg少し落ちていた)。

 問題の複視は徐々にピントが合ってきている。視界の端の方がはまだまだ複視だけど、正面は大体問題なく見られるレベル。疲れて来ると正面も複視になるけど、そこはもう慣れてしまっている感じ。手は両手とも薬指~小指部分が痺れており、動きが悪い。その流れで掌~前腕部も痺れがあり、日ごとに度合いは違う感じ。

 しかし、この辺りももう「そういうもの」ぐらいに受け入れられている。脚は左の動きが悪く、疲れてくると引きずる。が、ジョギングが出来ていたりするので気にしないようにしている。

 いろいろと多少の不自由や不具合はあるけど、もう共存出来ていると思う。

 先日、10㎞走り切ることが出来た。今後、再びのフルマラソン完走を目指して頑張って行くつもり。



<最後に>

 まだ症例も少なく、本人にしてみれば何が起こったのか分からないままに麻痺などで自由が奪われるこの病気は、本当に恐ろしいと思いました。

 しかし、なってしまったことを悔やむよりも少しでも出来ることをしようと、自分は頑張ってきたつもりです。

 自分がたまたま早く回復できた症例であったと思っていますし、上手く回復出来ずに苦しまれている例もたくさんあると思います。

 それでも、諦めたらそこでゲームセットだと思います。

 同じこの病気に罹った者として、今そして今後この病気に罹られ、リハビリを進められることになられる方の少しでも励ましや参考になれたらと思います。

                       (平成26年5月記)
この闘病記は、「ギラン・バレー症候群のひろば」の管理人であった田丸務様を通し、KIKU様ご本人に転載のご意向を確認した上で、掲載しております。