闘病記(MILK様)

 MILKさん〔発症時=平成20年1月、9歳、女性、小学生〕
     お母様からの投稿


<はじめに>

 2008年1月、9歳の娘がギラン・バレー症候群になりました。当初2~3ヵ月かかるだろうと言われましたが、1ヵ月で退院できました。

 最初に麻痺が現れ、最も麻痺が強かった部位は声帯です。稀なケースと言われましたが、GBSの亜型とされる「咽頭・頸部・上腕型GBS」だったようです。

 咽頭・頸部・上腕型GBS(Pharyngeal-cervical-brachial variant (PCB) of GuillainBarré syndrome (GBS))は、「構音障害や嚥下障害などの球麻痺症状で発症し、経過とともに筋力低下が、頸部屈曲筋や上肢近位筋に広がる」「典型例では上肢の腱反射は低下・消失し、下肢は保持されるが、下肢にも腱反射消失がみられることもある」「口咽頭部・頸部・上腕近位部に限局した筋力低下を示す」というものだそうです(下記獨協医科大学神経内科研究報告書より)。

 最初は何が起こっているのかわかりませんでしたし、上記のようなことを知ったのは後になってからですが、あらためて振り返ってみると、確かにこのように発現し進行していったと思います。

 症例の少ないタイプであるうえに、子供ということもあり、あまり参考にならないかもしれませんが、いつかどなたかの役に立つこともあるかと思い記しました。(お医者さんから聞いた話は記憶があやふやなところもあります。また、先生方は専門用語を殆ど使わず、私も素人が生半可な知識を持ち出して先生に嫌がられてはと思い追求しませんでしたので、この記録内で使っている専門用語は、先生の説明を私が理解した内容に置き換えたものや、自分で調べたものであり、必ずしも正確ではないかもしれないこと、予めお断り致します。また、そのために曖昧な表現が多くなっております。)

<主な参考資料>
*「ギラン・バレー症候群(GBS)/慢性炎症性脱髄性多発ニューロパチー(CIDP)
  治療ガイドライン」
  (日本神経治療学会会誌『神経治療学』20巻2号掲載、2003年3月発行)
  http://www.fmu.ac.jp/home/neurol/guideline/PDF/GBS_CIDP.pdf

*「口咽頭・頚部・上腕型(PCB)ギラン・バレー症候群の臨床像の解析」
 (免疫性神経疾患に関する調査研究班研究報告書2005年度、獨協医大報告)
  http://nimmunol.umin.jp/official/2005/report/html/2005039.html

*「自己抗体:抗ガングリオシド抗体を中心に」(獨協医科大学神経内科)
  http://www.dokkyomed.ac.jp/dep-m/neuro/jap/autoantibody.doc



<1月13日(発症日)>

 1週間前から咳が出始め、掛かりつけの小児科で咳止めの薬をもらい飲んでいたがなかなか収まらず、前日は一日中咳き込んでいた。そしてこの日、朝起きると、発声がおかしい。風邪のために声が嗄れているのとは違う。出せる音(ナ行、マ行など)と出せない音(タ行、バ行など)がある(「のど」は「のろ」、「ママ」は言えるが、「おばあちゃん」は「おまあにゃん」など)。声も小さくか細い。そして食べ物も飲み物も飲み込みにくいらしい。水は喉へ行かず鼻から出てしまう。咳で喉が傷んでいるのかと思うが、何か、おかしい・・・


 日曜日のため、休日診療をしている診療所を探すが近くに適当な所が見つからなかったので、ダメモトで近所の大学病院の時間外救急外来に電話をしてみる。当然のことではあるがこの大学病院は、救急処置の対象とみなされなければ高熱でも冷やして様子を見て下さいと断られてしまうのだが(一度ならず経験済み)、今回は風邪としては微熱だが喉に症状が出ているため、ウィルス感染を原因とする腫れ(腫瘍?)による窒息を警戒したようで、珍しく受け入れてもらえて幸いだった。診療所に行っていたら、治療開始が遅れていたかもしれない。

 小児科の先生は耳鼻科にも連絡したが、耳鼻科の医師は「喉の疾患で一部の特定の音が出にくくなるということは考えられない」と応え、救急外来に出て来てくれず耳鼻科系の疾患の可能性は却下された。胸部レントゲンを撮り、肺炎は起こしていないので抗生剤を飲んで様子を見るということで、掛かりつけ医でもらっていた大粒の錠剤は飲み込めなくなっていたので、粉薬を処方してもらう。(腱反射も診ていたが、特に問題とはしていなかったようなので、この時点では腱反射は正常の範囲内であったと思われる。)


 帰宅後、昼食はうどんを少し食べることができた。しかし午後には粉薬を水で溶いてスプーンで飲むのにも嚥下障害をきたすようになり、噎せた時には救急車を呼ぼうと思うほど、窒息するのではないかという有り様で、本人も恐怖心からか、あるいは麻痺のためか、それ以降食べ物を口にしなくなってしまった。水分はストローでなめるように飲むが、多分1日でコップ1杯も摂れていなかったと思う。夜になるとひっきりなしに咳き込み、泡だった唾のようなものをティッシュペーパーに吐き出し続けた。

<1月14日(発症2日目)>

 声は多少出るが、そのような状態なので自分から話すことはなくなっていた(会話は筆談)。手足の先が冷たく、痛いと言う。撫でると心地よいようだった。太ももがだるいと言い、トントン叩いて欲しいと手振りで示し続けていた。


 成人の日でこの日も休診日だったが、咳き込みの症状が重くなったように思えたので、再び大学病院の時間外救急を受診。喉のレントゲンは異常なし。小児科の先生(昨日とは別の医師)が再度耳鼻科に連絡を入れると、今度は耳鼻科の医師が来る。喉を内視鏡で診ると、声帯が殆ど動いていないという。翌朝一番で外来を受診するよう予約を入れてくれた。


 この時点では、声帯が「殆ど動いていない」ことが「麻痺」という深刻な病状であるとは結びつかず(風邪や咳の影響だと思っていた)、気道が開いているなどということに考えが及ぶはずもなく、風邪をひき咳をして出てくるものが、なぜ痰ではなく唾なのか不思議に思っていた。また、少しでも食事できればとおかゆや摺りおろしたリンゴなどを食べさせようとしていた。結局噎せるので食べなかったが、それは誤嚥につながる危険なことをしていたことになる。錠剤(小粒のものは引き続き飲んでいた)が気管に入っていたらと思うと恐ろしい。誤嚥性肺炎は感染性の肺炎より重症になるそうだ。


<1月15日(発症3日目/入院)>

 連休が明けて、小児科外来受診。支えられながらも何とか歩くことはできていたがフラフラしている。丸二日殆ど飲食していないのと咳き込みで体力を消耗しているためだと私(母)は思っていたが、足に脱力があったのか。(後日本人に聞いたところ、お腹が空いていたからだというが。PCBであれば下肢の筋力低下はないかもしれない。PCBと一般のGBSを併発することも少なくないようだ。)昨日以来訴えている手足の違和感も、具合が悪いから構ってもらいたいのだろうと思いさほど重視していなかった。喉の症状に気を取られて、他の症状を軽く見てしまっていた。(先生には一応伝えてあった。しかしこれらの症状「手袋靴下型の異常感覚」もGBSと診断する手がかりとなったようだ。)


 小児科外来の先生は一昨日の時間外救急の先生で、「(症状が)進行していますね」と言うものの、何が原因でこうなっているのかわからず戸惑っているように見えた。(この先生が主治医となるが、専門は神経ではない。後に小児神経を専門とする先生が担当に加わり、その先生は同病院で過去に一度、PCBの小児患者を診たことがあるということだった。娘を見てこれはGBSだろうと診断したのもその先生だ。因みに、その過去のPCB小児患者も全快したそうだ。)食事も水分も摂っていないので点滴をしながら耳鼻科を受診。やはり声帯が両側とも動いていないとのこと。しかし耳鼻科の先生も「原因はわかりません」と言う。そのまま入院(小児科病棟)。入院時の病名は「反回神経麻痺(=声帯麻痺)による嚥下困難」ということだったが、これは病名ではなく症状だろう。現時点では原因がわからない、原因がわからないと治療できないという。(反回神経麻痺は原因究明が重要らしい。)

 レントゲン、CT、髄液、血液などの検査をしたようだ。外傷による神経の損傷も腫瘍による神経の圧迫も見られない。髄液検査でも異常所見はない。ウィルス感染が疑われる。

 帰宅しネットで検索したところ、「突発性の声帯麻痺の多くはウィルス性で一旦麻痺すると治りにくい」ということを知りショックを受ける。(この日はまだ、GBSという病名を耳にすることはなかった。)


<1月16日(発症4日目/入院2日目/IVIg投与・人工呼吸器挿管)>

 発症以来、朝になれば(時間が経てば)症状が和らぎ回復の兆しが見えるだろうと期待するが、期待は裏切られ続け、症状は日毎悪化の一途を辿る。

 声帯は、嚥下時には嚥下したものが気管に入り込まないよう左右の声帯が接触して気道を閉鎖するが、娘はそこが開いたままになっていた。(逆に、声帯は閉じた状態で麻痺することが多く、その場合呼吸困難を生じ気管切開が必要になるようだ。全開で麻痺したのは不幸中の幸い?といえるらしい。)普段は意識していないが、人は1日に1リットル以上の唾液を分泌しているそうだ。そのため唾液が気管へ入らないよう吐き出すため、頻繁に咳き込んでいたようだ。

 声帯以外の咽頭に麻痺があったかどうかは、飲み物が鼻へ逆流するという症状があり、咽頭の反射運動が低下するとそういうことが起こるらしい。また、人工呼吸器を喉に入れた時に嘔吐反射がなかったので麻痺はあったかもしれないということを後日先生から聞く。しかし、この後GBSだろうとの診断のもとIVIg投与を行い人工呼吸器も挿管されたので、それ以上喉の状態を検査することはなかった。


 唾液で嚥下障害が起こり咳き込む状態が3日近く続いており、機能的にか体力的にか自力で吐き出すことが難しくなってきたようで、何度かに一度は吸引もしてもらうようになる。呼吸も十分でなくなってきたのか、血中酸素飽和度が下がりがちになり酸素マスクをつける。手足は動くが力は弱く(特に手)、首もグラグラしていて軽い麻痺があったようだ。顔面神経麻痺もあるという。全く動かないわけではないが、目や口の周りに皺が寄るほどギュっと瞑れない、瞑った目や口を先生が指で開こうとする力に抵抗できないのは麻痺しているからなのだそうだ。そういえば、昨日から起きている時も無表情で寝ている時は目が半開き、瞬きもしていなかったような気がする。やたらと目を擦っていたのは瞬きできなかったからか。車椅子に座った時には、首を起こしていられないようで横にもたれかかっていた。どれも病気でぐったりしているからだと思っていた。私は子供の病状を理解していなかったのだ。


 MRI、CT、神経伝達速度などの検査が予定されていたが検査を待たずに、ギラン・バレー症候群と思われるので治療を開始したいという話があり(血液製剤の使用に同意を求められる)、免疫グロブリンが到着次第投与を開始することになった。その間、予約外で無理矢理入れてもらっている検査の順番が次々と回ってくるが、咳き込みがひどくてじっとしていられず、割り込んだのに検査できずに出戻り・・・また割り込み・・・と検査をするのも難しい状態だった。もう声を発することはできなくなっていたようだ。移動もストレッチャーになった。入院初日は一般の大部屋だったが、この日にはナースステーション脇の最も重症患者が入る病室に移される。

 15時半頃、免疫グロブリン静注療法(IVIg)開始。点滴を始めるにあたって看護師さんから「副作用が出たらすぐに知らせて下さい」と言われ、副作用が出たら投与、即ち治療を続けることができないことを知り、祈るような気持ちで経過を見守る。幸い、副作用が出ることなく身体に受け入れられたようでほっとする。(前記参考資料・日本神経治療学会治療ガイドラインによると、小児あるいは高齢者、体重40kg未満の患者の場合、単純血漿交換(PE)は施行困難であるとのことだ。)

 免疫グロブリンは、通常400mg/kg/日を5日間投与するようだが、娘の場合、2g/kg一回投与という方法で、一日半かけて一気に注入した(22本)。どちらにしようか迷ったが一気に入れることにしたということだった。前記治療ガイドラインに「小児GBSの治療方針」として一回投与について書かれている。大人については同様の記載はなく、他でも見かけないので、小児特有の治療法なのかもしれない。


 治療開始前には、髄液検査では蛋白の増加は認められず、抗体値検査は結果待ち、GBSを研究している某大学にサンプルを提供すると詳しいことがわかるが結果が出るまでには時間がかかるということで、GBSであるという診断を裏付ける検査結果は出ていなかった。娘の場合、声帯から始まるという現れ方も稀であるらしく診断を迷わせたようだが、結果は後からついてくる形となり、先生方の早期の診断と治療開始に感謝している。しかし当時は、もしGBSでなかったらこの治療は効かないのではないかと、しばらくは不安な日が続いた。


 21時頃、血中酸素濃度が低下しモニターのアラームが鳴りっぱなしになる。この状態が続くと低酸素症(低酸素血症? 脳症?)になる危険もあり、人工呼吸器を挿管すると言い渡される。人工呼吸器が必要な状態まで重症化すると使わない場合より予後が悪いと聞いていたのでショックを受けるが、苦しみ続けている娘の姿を見て、「もういいよ、楽になろうね」と思う・・・

 後で聞いた話だが、娘の場合、呼吸困難は嚥下障害からきているもので呼吸筋の麻痺までは進んでいないのではないかということだった。


<1月17日(発症5日目/人工呼吸器挿管2日目)
 ~1月27日(発症15日目/人工呼吸器挿管12日目)>

 睡眠薬で眠らせて人工呼吸器を挿管すると聞いたので植物状態をイメージしたが、実際にはうつらうつらしながら起きている時も多く、人工呼吸器で動きを制限される頭以外は力が弱いなりにも動かすことはできたので、文字盤を指差して意思の疎通を図ることができた。ナースコールを命綱のように大事そうにいつも胸の上に置いていた。

 人工呼吸器、鼻から胃へ通したチューブ、手足に点滴、導尿のカテーテル、心電図、オキシメーターを着けられ、人工呼吸器を引き抜かないよう手を、点滴を保護するために足を、ベッドサイドの柵に紐で繋がれたことも一時的にあった(身体拘束を承認するという書類にサインする)。


 娘の手足は動いたが、腱反射は手足とも消失(もしくは低下?)していたようだ。

 最初数日間は頻繁に唾液や痰の吸引が必要だった(あまりにも頻繁なので、やり方を教わり母も吸引する。気管の吸引は医療関係者でないとできないが、口と鼻の吸引は家族はすることができる)。また、胃の状態もかなり悪かった(鼻のチューブを通じて胃から出てくる分泌物の様子と量でわかる。ストレスではないかということだった)。しかし、どちらも徐々に落ち着いていった。微熱はずっと続いていた。


 IVIg投与3日目、首や手足の動きが良くなってきたようだ。
 4日目、表情が一瞬動いた。
 5日目、面白くないことを言われた時に軽く顔をしかめる、瞼が少し動くようになる。
 6日目、神経伝達速度の検査2回目。
 7日目、瞼をかなりしっかりと開けるようになる。ヤマは越えたようだと言われる。睡
      眠薬の点滴が外される。鼻のチューブから流動食の注入が始まるが、胃の
      働きが悪くお預けになることが度々あった。
 8日目、瞼が瞬きのような動きを始める(微かにピクピクする程度で、上下の瞼が触
      れ合うほどではない)。
 9日目、2回目の髄液検査で蛋白の増加が認められる。抗体値検査の結果(?)は、
      当初の症状どおり先行感染は上気道炎症状からくるものだったそうだ。
 10日目、頬と口元に笑顔の動きが出る。
 11日目、尿道のカテーテルが外される。


 最初の1週間位は、まだ急性期なので麻痺が進むかもしれないと言われていた。娘の場合、特徴的な現れ方をしていないので一般的な経過を辿るかわからないとも言われた。しかし、治療開始後は目に見えて症状が進行することはなく、経過は良好と思われた。

 ただ、声帯の麻痺の回復については人工呼吸器を抜管してみないとわからず、一度抜いて再び挿管するのは(本人にとって)大変なので慎重に様子を見ていきたいということだった。顔、目、舌、喉(外から見てゴックンした時の喉の動き)、首、手足の動き、腱反射などを毎日チェックしていた。眼球や舌を動かすことはできた。複視もなかったようだ。

 回復してくると、娘は仰向けに寝たまま本を読んだり、絵を描いたり、折り紙を折ったりすることができた。文字盤で「寝返りしたい」「喉が渇いた」「お腹が空いた」「アメなめたい」などと言っていた(叶わぬ願いだった)。


<1月28日(発症16日目/人工呼吸器挿管13日目)>

 朝の回診で腱反射が出る。一般的には麻痺の回復がもっと進んでから出てくるものらしく、反射が戻るのが早いと先生方が驚いていた。

 10時、人工呼吸器抜管。唾は飲み込めている。ひそひそ声だが、きちんと発声できている。酸素マスクをつける。リクライニングベッドの背部を上げて身体を起こすと気持ち悪くなる。午後には点滴も外れる。(人工呼吸器の抜管はこの日に予定されていたもので、腱反射が出たから抜いてみたということではない。)

<1月29日(発症17日目)>

 耳鼻科の検査。内視鏡で声帯を診る。動くようになっている。
 酸素マスクを外す。ストローで口からお茶を飲む。
 最重症患者の病室を脱出。しかしまだナースステーションから見える病室。

<1月30日(発症18日目)>

 心電図、心拍・血中酸素濃度のモニターが外れる。
 口からの食事開始。夕食には普通食になる。起きあがると気分が悪くなるので、食べさせてもらう。
 眠る時、まだ瞼は完全に閉じていない。

<1月31日(発症19日目)>

 鼻のチューブを外す。これで全ての器具が外れた。
 髄液検査3回目。前回より回復が認められる。
 握力は、右10kg、左7kg(8~9歳女子の握力は12~14kg位)。
 ナースステーションから更に遠い部屋へ移る。

<2月1日(発症20日目)>

 付き添い付きで、自分で歩いてトイレへ行く。
 ベッドの上で、起きて自分で食事する。

 末梢神経伝導速度の検査3回目。この検査は発症4日目と発症9日目にも行っているが、目立った変化は見られなかったという。(そのためこの検査で回復の程度を見ることはできなかったらしい。PCBであればもともと手足の筋力低下は少なかったのかもしれない。)

<2月2日(発症21日目)~2月6日(発症25日目)>

 声もしっかり出るようになり、すっかり元通りに喋れるようになる。

 一人でトイレへ行けるようになり、歩行訓練開始。麻痺はないと思われ、筋力と体力を回復させるためのリハビリという感じだった(体重は1割減、身体全体がほっそりしてスマートになっていた)。病棟の廊下の行き来、階段の上り下り、椅子から飛び降りるなどさせられる。平行移動はすぐにできるようになるが、上下の移動はしばらくの間きつかったようだ。

 元気になり付き添いのいる間は寝なくなったので、眠る時に瞼を閉じているか見る機会がなくわからない。

 人工呼吸器挿管中ずっと続いていた微熱も下がっている(私が看護師さんに毎日聞かなくなったので、いつ下がったのかわからない)。

 某大学へ出していた検査結果が出た。ギラン・バレー陽性だったそうだ。

<2月7日(発症26日目)>

 髄液検査4回目。

 髄液検査の数値は、1回目(発症3日目)   30
              2回目(発症12日目) 120
              3回目(発症19日目)  80
              4回目(発症26日目) 100

 前回より増加しているので不安に思うが、この数値と病状にそれほど相関はなく、この病気は一旦良くなり始めれば再び悪くなることは殆どない(単相性の経過を辿る)ので、他の症状が順調に回復しているから大丈夫だろうと言われる。(この数値は健康な人は50位だそうだ。)


<2月8日(発症27日目)>

 朝から軽い腰の痛みを訴えていたが、夕食後、痛みが激しくなり(「痛いよ~」と声に出し涙を流して泣くほどの痛み)、ベッドの上に座ったまま身動きできなくなる。前日の検査で髄液中の蛋白が増加していたこともあり、痛みの現れ方の急さと激しさで、再燃(症状が違うが? 再発?)かと不安になる。鎮痛剤を飲むと痛みが和らいだので、ベッドを起こして寄りかかった姿勢でいったん眠るが、夜中にまた痛み出し再び鎮痛剤をもらう。

 しかし朝になると、何事もなかったようにすたすた歩いてトイレへ行き座って食事をし、その後再び痛み出すことはなかった。髄液検査で背中に針を刺したためか(そのせいで痛みが出ることはあるらしい)、その後トイレで貧血を起こして尻もちをつき腰を打ったためか、リハビリの影響か・・・?

 以後、変わったことは何もなく、検査も薬もなく、院内リハビリテーション部へ4日通う(といっても「目立った麻痺は見られず、軽度のバランスの低下と階段の不自由が見られる」程度)。


<2月16日(発症35日目/入院33日目)>

 退院。

 翌日、電車で3駅先の矯正歯科医院へ行く。(早期に矯正を再開する必要があったので退院直後だが出かけた。)それほど歩いていないが、帰宅後、かなり疲れたようで翌朝までごろごろ横になっていた。


<2月21日(発症40日目/退院6日目)>

 復学。体育は休むよう言われている。慣らしで午前中のみ。


<2月22日(発症41日目/退院7日目)>

 外来受診。手足や首、顔などの動きを診るが、室内でできる程度の動きに異常は見られず、「今度全力疾走してみてどうだったか聞かせて」などと言われる。体育のドクターストップも解除。ほぼ、日常生活に戻る。



<ふり返って>

 娘のGBSは脱髄型だったようです。また、繰り返すことは少ないタイプだと言われました。(とはいえ、症例が少ないので確かな傾向かはっきりしないというニュアンスでしたが。PCBのことではないかと思います。)繰り返しやすいタイプもあるそうです(CIDPではなく)。

 発症当時、娘を診る(見る)先生方、看護師さんが皆、深刻な顔をしていることがとてもショックでした。その表情は良くない未来を宣告するもののように思われました。先生方も最初はGBSとは思わなかったようです。目に見えて症状が悪化していくのに、原因がわからず治療を始めてもらえない不安と恐怖。先生に不満をぶつけたこともありました。(発症日から診てもらっているのに、休日だからとたいした処置もしてもらえない間にどんどん悪くなっていったので、こうなる前に何か手の施しようはなかったのかと。しかしその後のことは感謝しています。)

 発症当初から麻痺そのものより嚥下障害による咳き込みが目立った症状だったので、本人は静かに休むこともできず飲み込めない唾液を吐き出し続け(1日でティッシュ5箱セットを使い切るほど。口の周りは荒れて赤紫になっていました。大人ならこれほどパニックにならずに済んだのかもしれませんが)、痛々しい子供の姿に周りはおろおろし、励ましたり慰めたり、泣いたり祈ったり。そうこうしている間に人工呼吸器挿管となり慌ただしく事は進行していきました。当初は重症と言われました(球麻痺は重症とみなされるようです)。

 しかし、後からいろいろわかってくると、幸運にも恵まれ、結果的には軽く済んだのではないかと思います。回復もめざましく、人工呼吸器抜管後は、診る方見る方、今度は皆が驚いていました。

 最も症状の重かった部位が声帯で自然治癒に頼るしかなかったので、回復するのかとても不安でした。後遺症が残った場合、ただ一箇所の麻痺であっても、生活の質が格段に低下すると思えたからです。気管切開が必要・・・? 食事が口から摂れない・・・? 話すことは・・・?(声帯の手術やリハビリというものはあるようですが。)

 退院当初は、再発や慢性化する(CIDP)ことへの不安もありましたが、今では娘もすっかり元気になり、こうした日々も遠い記憶となりつつあります。今は、運動するたびあちこち筋肉痛になると言っています。全力疾走はまだしていないようですが、退院後に始めた学校の縄跳び検定は、3年生の課題(二重跳び30回他)をほぼクリアしたようです。


 長々と記しましたが、何かのご参考になれば幸いです。

 現在闘病中の皆様が、一日も早くご快癒されますよう祈っております。

                         (平成20年3月記)

この闘病記は、「ギラン・バレー症候群のひろば」の管理人であった田丸務様を通し、MILK様ご本人に転載のご意向を確認した上で、掲載しております。